
ケイト・ブッシュの非常に初期のキャリアについて有用な情報を持っている人といえば、バンドメイトであり友人でもある素晴らしいギタリスト兼ソングライターのブライアン・バスをおいて他にはなかなかいないでしょう。ケイトとの彼の仕事は、有名になる前の姿であるKTブッシュバンドの時代から、「愛のかたち」のアルバムまで長く続き、「愛のかたち」ではブライアンがこんにちは地球でギターを演奏しているほか、クラウドバスティングではバックボーカルを歌うのを聞くことができます。
ケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストの3回構成のシリーズを通してブライアンと一緒の時間を過ごせたことは名誉なことです(パート1、パート2、パート3)。もしまだでしたら、ぜひ聴いてみてください。ケイト・ブッシュの音楽史が驚くほどの密度で語られています。私はブライアンさんと会話し、ロンドンで学校のバンドで友人のデル・パーマーと過ごしたころ、1970年に若き日のパディ・ブッシュと友達になり、音楽を作ったこと、ブッシュ家を訪問したこと、ヴィック・キング、チャーリー・モーガンとバンドを組み、1977年にデル、ヴィック、ケイトと共にKTブッシュ・バンドを結成し、ケイトのデビューアルバムのレコーディングに先立ってロンドンのパブやクラブシーンを席巻したことなどを話しています。

ブライアンは「嵐が丘」でのケイトの素晴らしいデビューの当事者であり、TV出演のためのバンドのリーダー役、デモの制作、ファームでの最初のデモスタジオ設置のサポート、ライオンハートのアルバムでの演奏、1979年のライオンハート・ツアーでのギター演奏、BBCのテレビスペシャルへの深い関わり、魔物語のアルバムでの演奏、「呼吸」と「夢見る兵士」のビデオへの出演、ドリーミングでの演奏と「10ポンド紙幣が1枚」のビデオへの出演、そして「愛のかたち」で参加しています。ブライアンが「愛のかたち」のアルバムについて話しているクリップです:
愛のかたち –今日のできごと

ちょうど40年前の1985年9月22日、ケイトのニューアルバム「愛のかたち」がイギリスのアルバムチャートで1位に輝きました。これは、ケイトとアルバムのために一生懸命働いたすべての人にとって重要な出来事でした。ケイトの1980年のアルバム「魔物語」に続く2回目のUKチャート1位です。ケイトはその後1987年1月にも、コンピレーション・アルバム「ケイト・ブッシュ・ストーリー」で1位を獲得し、頂点の座を取り戻しています。
アルバム「ライク・ア・バージン」をトップから引きずり下ろした後で、ケイトは多くのインタビューでマドンナについてどう思うか尋ねられています。(当然ながら)相変わらずの優雅さで答えています。
愛のかたち –今日の作品
(katebushcollectables.comのご協力でお届けします)

80年代半ばには、ミュージックビデオはビデオテープで配布されていました。「クラウドバスティング」の素敵なVHSカセットのプロモーションビデオはなかなか見当たりませんが、1曲だけのVHS PALリリースで、カスタムの写真インサート付きのプラスチックケースに入った形で配布されました。

愛のかたち –今日のトリビア
クラウドバスティングはなぜ蒸気機関車の音で終わるのでしょうか。この曲のエンディングになにか特別なものが必要だと感じたケイトが思いついたのがきっかけでした。BBCラジオ1のクラシック・アルバムのインタビューで、次のように記憶を話しています(Gaffa.orgでの書き起こし)。「…何もかも崩れ始めます。ドラマーが止まって、ストリングスの演奏も止まります。何かエンディングが必要だと感じましたが、どうすればいいかわかりませんでした。そして、おとり戦術がいいのかもしれないと思って、蒸気機関が減速する音で全体を覆い、旅が終わりに近づいているような感じにしてみました。

それがうまくいって、曲の最後で崩れていく部分を覆い隠し、ある意味でとても完璧なサウンドになりました。蒸気機関車の音を探すのにとても苦労して、結局はいろいろな音を元に自分たちで作りました。デルが蒸気の音をやっていて(笑)、警笛の音はフェアライトのホイッスルです」
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