2025年9月13日土曜日

愛のかたち40周年:13日目

愛のかたち40周年タイムカプセル – 13日目

愛のかたちの40周年を記念するために、9月は毎日1つずつタイムカプセルを作ります。この偉大な作品に関連した人、出来事、モノを、1985年から現在までいろいろ集めます。

Lyrics: "Never never say goodbye ot my part of your life, no, no, no, no, no...let me live"

愛のかたち ― 今日の人

リアム・オフリン
リアム・オフリン

2018年3月14日、プランクシティの創設メンバーであり伝説的なアイリッシュ・イリアンパイプス奏者のリアム・オフリンが72歳で亡くなりました。ケイトはリアムを「美しい音楽家で素敵な人」と評しています。彼はパイプ奏者の巨匠で、伝統的アイルランド音楽の世界的な使節と見なされていました。アイルランドの伝統音楽の世界での彼の影響は計り知れないものであり、ケイトのアルバム「ドリーミング」収録の曲夜舞うつばめ(ペニー・ホイッスルも演奏)や、愛のかたちではジグ・オブ・ライフこんにちは地球での演奏は忘れられないものです。

Kate Bush Encyclopediaのサイトから: 「1972年、オフリンは、ドナル・ラニー、アンディ・アーバイン、クリスティ・ムーアと共同でアイルランド伝統音楽のグループプランクシティを設立し、バンドの様々に変わる姿を通じてメンバーであり続けました。ショーン・オ・リアダとチーフタンズが1960年代にアイルランドの伝統インストゥルメンタル音楽をアンサンブル形式で復活させた一方で、プランクシティはその基盤の上に立ってさらに一歩踏み込みました。オフリンのパイプ演奏を重点としてアコースティック音楽にパンチと活力を与えました。リアム・オフリン1983年のプランクシティ解散後は、ケイトとの仕事のほかに、エヴァリー・ブラザーズ、エンヤ、ナイジェル・ケネディ、リタ・コノリー、マーク・ノップラーといった著名なアーティストとセッション・ミュージシャンの仕事をしています。映画音楽にも携わっており、「キドナップト」(1979年)や「リバー・ランズ・スルー・イット」(1992年)などの作品があります。冒険心にも富んでおり、アバンギャルドな作曲家ジョン・ケージとも仕事をしていますが、もっとも自然な共同作業はネオロマン主義の作曲家ショーン・デイヴィとのクラシックのアルバム「グラニュイエール」と「ブレンデン・ボヤージ」でした。

1970年代の演奏中のプランクシティ。(左から順に)ドナル・ラニー、リアム・オフリン、アンディ・アーバイン、クリスティ・ムーア。

1970年代の演奏中のプランクシティ。(左から順に)ドナル・ラニー、リアム・オフリン、アンディ・アーバイン、クリスティ・ムーア。

リアムが亡くなったとき、「愛のかたち」などのアルバムで一緒に仕事をするのを楽しんでいたデル・パーマーは、このケイト・ブッシュ・ニュースのサイトにあるリアムについてのコメントで次のように書いています。

自分の能力に完全な自信を持っており、スタジオでは素晴らしく、穏やかな存在でした。ありがたいことに一度だけではなく、三度も制作で関わることができたのは、私の人生の本当のハイライトの一つだと言えます。

アイルランドでの魔法のような日々は、他の何ものにもまして私が宝物にしている思い出です。
本当に悲しいことです…

愛のかたち ― 今日のできごと

ケイト・ブッシュ・クラブ・ホームグラウンド・ファンコンベンション – エセックス、ロムフォード(1985)
ファン・コンベンションでのケイトとデイヴ・クロス – ロムフォード、エセックス(1985年)

ホームグラウンド誌のデイブ、ピーター、クリスと長年このサイトで共同作業できたことを光栄に思っています。ケイトのキャリアの初期に、ホームグラウンドはケイトとその家族の全面的なサポートと関与を得て、いくつかの記念すべきファンイベントやコンベンションの開催に参画しました。そのため、大成功のアルバム「愛のかたち」のリリースとともに、1985年のケイト・ブッシュ・クラブとホームグラウンドによるファン・コンベンションが、1985年11月30日にエセックス州ロムフォードのドルフィン・センターで開催されました。

いろいろな楽しいイベントをやりました。ホームグラウンドのピーター・フィッツジェラルド・モリスの進行でケイト・ブッシュのクイズを2回やりました。スライドショーもあって、その中で当時その場でしか聴けなかったトニー・マイアットのケイトへのインタビューのテープが流されました。ケイトのゴールドアルバムや、デル・パーマーのツアー・オブ・ライフでのレザージャケット(デル自身が贈呈)など、現場で当たる賞品もありました。

1985年ファンコンベンションでのジョン・カーダー・ブッシュとパディ・ブッシュ(ディジリドゥを手に)
1985年ファンコンベンションでのジョン・カーダー・ブッシュとパディ・ブッシュ(ディジリドゥを手に)

奥の部屋にはケイト・ブッシュの公式グッズがたくさん売られていました。また、ケイトの日本遠征やハマースミス・オデオンでの記録のアウトテイクなど、特別映像が多数上映されました。ケイトの兄弟であるパディとジョン・カーダー・ブッシュのインタビューがステージ上で行われました。ケイトの家族全員とデル・パーマーはイベント全体を通してメインルームの後ろにいて、話したいと思うファン全員と会話をしていました。とてもフレンドリーな雰囲気でした。

デル・パーマー

ケイトは「出席しないはず」と全員が巧みに信じ込まされていました。最後にケイトがステージに現れたとき、群衆は興奮して大騒ぎになり、ステージの下に殺到して、ケイトが来てくれてありがとうというのを聞こうと耳を澄ましました。そしてケイトが「愛のかたち」のプラチナ・アルバムを受け取るのを目撃しました。本当にすばらしい時間でした。

Kate
Kate and Peter Fitzgerald-Morris

このイベントのビデオ映像はまだありませんが(スマートフォンが発明されるずいぶん前のことです)、ホームグラウンドのスタッフがこの日の素晴らしい音声のアーカイブを共有してくれました。視界のデイブ・クロスが観客に向けてケイトがイベントの収益をすべてバンドエイドのチャリティーに寄付するということを説明し、ファンに向けて会場のあちこちのいろいろなポスターを取らないようにお願いしています。また、ある場面ではリサ・ブラッドリー(ケイトの友人でケイト・ブッシュ・クラブの運営に存続期間中ずっと関わっていた)が賞品の説明をしていて、最後にはデイブがレアなケイトのビデオを流すのを順次説明しています。これはYouTubeができる前の時代には貴重なことでした。

1985年のコンベンション・プログラムでファンへのケイトのメッセージ。
1985年のコンベンション・プログラムでファンへのケイトのメッセージ。

パディ・ブッシュがアルバムのバックコーラスのデモンストレーションをしている様子と、ケイトがステージに上がった瞬間の音声です(音声と写真はピーター、クリス、デイブの各氏からいただきました)。

愛のかたち –今日の作品

katebushcollectables.comのご協力でお届けします)

愛のかたちのEMI 100周年リマスターCDリリース

1997年6月、EMI 100周年記念の一環として発売された愛のかたちの最も完全なバージョンがリリースされました。特別にリマスターされた限定版(あきらかにパンチが効いた音)が、通常のジュエルケースに入ったCDが、さらにボール紙のスリップケースに入っており、その中にはEMIレコードの歴史に関する28ページの100周年ブックレットも入っています。

愛のかたちEMI 100周年リマスターCDリリース
愛のかたちEMI 100周年リマスターCDリリース

CD自体には新たな写真やレイアウトが追加され、(ホームグラウンドの)ピーター・フィッツジェラルド・モリスの紹介文に加えて、大空(メテオロジカル・ミックス)神秘の丘(12インチミックス)ビー・カインド・トゥ・マイ・ミステイク(1989年のシングル「ディス・ウーマンズ・ワーク」のB面)、アンダー・ザ・アイビーバーニング・ブリッジマイ・ラガン・ラブ6曲が追加されました。この再発盤は音楽メディアで高い評価を受け、Q誌で5つ星の評価を受けています。

「愛のかたち」EMI 100周年のリマスターCDリリース
「愛のかたち」EMI 100周年のリマスターCDリリース

愛のかたち ― 今日のトリビア

愛のかたちUKカセットテープインレイの細部(1985)
愛のかたちUKカセットテープインレイの細部(1985)

アルバムのフォーマットについて言えば、愛のかたちのオリジナルのカセット版では、両面の演奏時間の不一致を補うために、サイド1の最後に「神秘の丘」(12インチ・シングル・バージョン)が、アメリカを除いて含まれていました。興味深いことに、オリジナルのヨーロッパ市場向けCDのトラックリストにもそれが含まれていましたが、実際のCDには収録されていませんでした。

愛のかたちUKカセットテープ(1985)

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