
愛のかたちの40周年を記念するために、9月は毎日1つずつタイムカプセルを作ります。この偉大な作品に関連した人、出来事、モノを、1985年から現在までいろいろ集めます。

愛のかたち –今日の人

1985年、ケイトは以下のように認めています。「このアルバムは、何人か特別な人がいなければ実現できませんでした。特にこのプロジェクトで多大な仕事で貢献してくれたハイドン・ベンドールさんとブライアン・テンチさんに感謝しています」ブライアン・テンチは、(デル・パーマー、ハイドン・ベンドールと共に)アルバムの3人のエンジニアの1人としてクレジットされており、最終的にアルバムのミキシングとしたのは彼のキャリアのハイライトになっています。
アルバム「愛のかたち」のミックスは、1年以上かけて集中的に作業したアルバム制作というジグソーパズルの最後のピースでした。音楽においてミキシングは、録音された個々のオーディオトラック(ボーカル、ドラム、ギターなど)を1つのまとまりのあるバランスのとれた最終オーディオファイルに結合する創造的なプロセスです。プロデューサーとミキシングエンジニアは、音量、イコライジング(EQ)を調整し、リバーブやディレイなどのエフェクトを適用して深みと空間を作り出し、各要素が曲の中でその場所をとってさまざまな再生システムのどれでもクリアでバランスの取れたプロフェッショナルなサウンドを実現します。

モジョ誌の最近のインタビューで、ブライアンは次のように述べています。「私はいろいろな有名なスタジオでも仕事をしてきました。モンセラートやニューヨークなど。でもあの場所(ケイトのファームスタジオ)は私の頭と心の中で特別な場所をいまだに占めています。本当に素晴らしい体験でした」毎朝ブライアンはファームで、ジャケットの写真が有名なワイマラナー犬のボニーとクライドに出迎えられました。「私に慣れてきたのは、やっとそこに通う最後の1か月ぐらいだったと思います」とブライアンは笑う。「朝食やときどき夕食もいただいて、それまでの作業やその後に必要になることを話して、あるいはアルバム制作を一時忘れられるような話もして、コントロールルームに戻って続行しました。本当に素敵な雰囲気でした。お父さんもお母さんも素敵でした。ご兄弟も素晴らしい人たちです。ケイトは愛すべき性格で、一緒にいるととても楽しいです。本当に大事な時間でした。とてもリラックスできて、楽しく、ケイトは一緒に仕事する人々とうまくやっていく必要があり、メンバーはケイトの世界を理解しようとしなければなりません。『遠くの木々のように聞こえるようにしたいんですが』、『では、やってみましょう』というように。
業界の多くの人にとって驚くべきことは、これらすべてがイースト・ウィッカム・ファームにあるケイトの自宅スタジオで行われたものであり、巨大で高価なレコーディングスタジオではなかったということです。ブライアンはこう言っています: 「全て手動でした。(例えば)「こんにちは地球」での大きな音は、裏庭にあるプールにレンガを投げてナグラ(ポータブルオーディオレコーダー)で録音したものをスローダウンしたものだったはずです。最近だと『こんな音がほしい』というとボタンを押すだけです。あのころは違いました。なんでも自分で作らないといけませんでした」

ブライアンは1970年代後半に音楽のキャリアをスタートさせました。学校を出てメイフェア・スタジオでテープ・オペレーターを始め、その後、ハロー、スリック、ベイ・シティ・ローラーズなど当時の有名なポップ・ネームと仕事をし、後にヴィサージュやランドスケープなどニューロマンティクスのプロジェクトに進む。他にもフィル・コリンズ、バウ・ワウ・ワウ、ビージーズ、ティナ・ターナー、バック・フィズ、ミッジ・ユーロなどのレコーディングを手がけました。
ブライアンはスタジオに通った長い日々を回想します。「プリムローズ・ヒルからケントまで、週6日車で通い、12時間仕事をして戻る日々でした。私たちは一度もそこには泊まりませんでしたし、ケイトもそうでした。両親の家でしたので。彼ら(ケイトとデル)は、スタジオから40分のところにあるカントリーハウスまでドライブして行ったので、大変だったと思います。それでも、行き先が本当に楽しいところで、そこに着いて「今日は何をするんだっけ」という感じだと、曲のリストのボードを見て、「今どういう状態で、今日はこれからどうするのか」が楽しみになります。「これは昨日からの続きでまだ作業が必要だ」というのが楽しみになると、通うのも苦ではなくなります」
ブライアンはモジョ誌に「ケイトの声はとても明るく、うれしくなりました」と語りました。「ケイトは偉大なボーカリストです。スタジオに入って、この声を試してみようなどと言います。明かりは消すので姿が見えない中で聞こえる声は、これが同じ人から出ているのかと思ってしまいます。信じられないほどでした。ケイトは自分の声を踊らせて一言だけで感情を表現することができで、その変化で突然引き込まれて、どこかに移動したように感じるのです。息のコントロールが素敵でした。息を吸わずにひとくだりを最後まで歌うことができるのです」
ケイトの5枚目のスタジオ・アルバムの制作は、非常に厳しく集中したプロセスでしたが、そこには面白さ楽しいこともありました。「魔女」の曲の冒頭でブライアンの声が聞こえるはずです。「We should make the night, but see your little lights alive」でアクセントをつけているのがそうだと思われますが、本人に聞いてみる必要があります。
愛のかたち –今日のできごと

ケイトはファンの間で人気の曲アンダー・ザ・アイビーをテレビでたった一度だけ歌っています。この曲の生演奏では、ケイトがロンドンのアビー・ロード・スタジオでグランドピアノを演奏しながら歌い、1982年から1987年まで放送されたチャンネル4の人気音楽番組「ザ・チューブ」の第100回で1986年3月19日に放送されました。
1985年、ケイトはダグ・アランにこの曲の内容について語りました。
「パーティーからこっそり抜け出して誰かにひそかに会いに行く人についての歌ですが、恋人に会うためかもしれないし、話をするだけかもしれない。とにかく秘密のことで、以前におこなわれていたことで、今はもうできないのです。懐かしく思い出す瞬間です。それが悲しいのは、自分が無邪気だった子供のころにそのようなことをやっていた瞬間を思い出している人のことだからで、大人になった今は隠れてしないといけないのです」
2019年3月にコンピレーション「ジ・アザー・サイド」をリリースしたとき、ケイトはコレクションからいくつかのトラックをピックアップして公式サイトで紹介しています。アンダー・ザ・アイビーの録音について次のように書いています。
「神秘の丘のB面に入れるトラックが必要だったので、この曲を手早く書きました。ピアノ/ヴォーカルだけでしたから、録音は簡単でした。当時人気だったテレビ番組「ザ・チューブ」のためにアビー・ロード・スタジオで演奏して撮影しました。司会はジュールズ・ホランドさんとポーラ・イェーツさんでした。ポーラの曲の紹介はとても感動的でした。

撮影はアビーロードのスタジオ1で行いました。大きなオーケストラや合唱団、映画音楽などを録音するために使われる巨大な部屋で、天井は目を見張るほど高く、スタジオ2で仕事をしていた時は、仲がよかったエンジニアがスタジオ1の天井の上に連れて行ってくれたものです。ハッチを通ってキャットウォークに登らなければなりませんでした。そこで這い上がってオーケストラがはるか下で録音しているのを見下ろしました。はるか頭上にいたずら者がいるとは思いもよらなかったでしょう。昔はそういうことが好きでした。あの恐ろしいほどの高さによる音響は天国でした。そのハッチからバンジージャンプをしたら面白いんじゃないかというような話もしました」

数週間後の1986年4月上旬にも、ケイトはピアノ弾き語りでライブ演奏しており、そのときにはシャフツベリー・シアターでのコミック・リリーフのために3日にわたって呼吸を歌っています。ケイトは後に、アビー・ロード・スタジオに関するメアリー・マッカートニーの2022年のドキュメンタリー映画「イフ・ジーズ・ウォールズ・クド・シング」でアビー・ロードへの愛について語りました。ケイトはオーディオナレーションで、そのスタジオで「魔物語」を制作したときのことを思い出しています。「私たちはスタジオ2で制作しました。そこにはビートルズが使った真空管の卓がまだありました。そしてライブルームはそのころから全く手が入っていません。壁を塗り直しただけでも音が変わってしまうんじゃないかと、恐れられていたのです」
愛のかたち –今日の作品
(katebushcollectables.comのご協力でお届けします)
「愛のかたち」は間違いなく時代を超越した古典的作品になっていますが、リリースされた1980年代のファッションに時代の空気が表れています。愛のかたちのアナログレコードの初期のコピーには、グッズの資料が挿入されていて、そこに載っている限定版プリントや公式の白い愛のかたちのトレーナーとTシャツには、とても80年代らしいカラーグラフィックがあしらわれています。

トレーナーは「デザイナースタイル」と記載されているので、たった14.99ポンドで変えるような平凡な服ではないはずです。また、このシートには、「品質のスクリーンスターズブランド」のTシャツに「フロント全体に特別にデザインされた6色使いの猟犬モチーフ」が入っていると書かれています。5.99ポンドというお買い得価格ですが、きれいに保つのは至難のわざでしょう。クールです。予想通り、このアイテムは今ほとんど見つからず、良好な状態だとかなりの価格で取引されています。
写真はペッカ・ヒルトゥーネンさんから。

愛のかたち –今日のトリビア
今日は手短かに。ウォッチング・ユー・ウィズアウト・ミーで聴こえるケイトの有名な逆再生ボーカルの正確な意味は、アルバムが1985年にリリースされたとき、ファンの間で大きな議論の的になりました。印刷物の歌詞にはなんと言っているか言及はなく、ニュースグループやメーリングリストなどを知る人がほとんどいないインターネット時代以前のことでした。この曲はケイト・ブッシュ・クラブのニュースレターで賞品をかけた問題として設定され、ファンはケイトが言っていることを聞き取れずに苦闘し、何号かつづきました。一つの推測は「Sonic morn, sonic morning, let me in on the dawn in of」でした。これは正解ではなさそうです。

2025年まで早送りすれば、ケイトの歌詞集「透明人間になる方法」を手に入れることができます。「Don’t ignore, don’t ignore me.Let me in, and don’t be long.」だそうです。ケイトを無視するなんて考えられませんね。
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