
愛のかたちの40周年を記念するために、9月は毎日1つずつタイムカプセルを作ります。この偉大な作品に関連した人、出来事、モノを、1985年から現在までいろいろ集めます。

愛のかたち ― 今日の人

ケイトと他のミュージシャンとの間での長きにわたってお互いに敬意を持っている素敵な例です。1985年のインタビューでケイトが熱を込めて語っていたのは、大好きなECMアーティストであるエバーハルト・ウェーバーに送って、自分のスタジオに入ってもらって彼のパートを演奏してもらったときのことです。「憧れの人たちと一緒に仕事ができるのは嬉しいことです。あのパートには、とても個性が出ています。私には頑固なところもあって、いくつかの音に口出しをしたところもあります。でも、とても好きだと思うのは、彼のプレイすべてに滲み出ている人格です。美しく夢中になれる音で、とてもエモーショナルです。そういう人に頼んで来てもらって、そんな個性をちょっといただいて自分のトラックに乗せるんです」
ドイツのコントラバス奏者で作曲家のエバーハルト・ウェーバーは、非常に独特な音色とフレーズでよく知られていました。彼の作品は、室内楽ジャズ、ヨーロッパのクラシック音楽、ミニマリズム、アンビエント・ミュージックをブレンドしたものであり、ECMレコードのサウンドの特徴的な例と見なされています。1982年、ケイトから突然に連絡を受けたのですが、ハンブルクでコンサートの後にホテルに戻ったとき、フロントで電話番号が書かれたメモを受け取りました。『ブッシュさんとおっしゃる御婦人から電話がありました』
エバーハルトの記『ジャーマン・ジャズ・ストーリー』より:「ブッシュ、ブッシュ、ブッシュさん? 0044というのは英国の国コードです。電話をかけても応答はなく、通じませんでした。家に戻ってイギリスからの郵便が私達の郵便受けに着くまで待たなければなリませんでした。ブッシュさんというはケイト・ブッシュであることが判明しました。電話番号を交換してからは、口頭でのコミュニケーションが可能になりました。当時はインターネットも携帯電話もなかったので、連絡を取るのは現在よりも複雑で長くかかりました。言うまでもなく、私はケイトをポップスターとして知っていました。実は妻のマヤは彼女のファンで、LPを何枚か持っていました。私もケイトの素晴らしい声とアレンジの才能を知っていました。

ケイトが私の音楽を知っていて、ECMの大ファンだと言っていることに驚いて、どうして私に連絡を取ったのかが気になりました。すると、本心を打ち明けてくれたのです、ケイトのある曲のためにベースのメロディを考えて録音するために、ロンドンに飛ぶことができるかどうか聞かれました。その次に、テープを送ってもらったと思います。メディアは覚えてませんが、DATだったように思います。彼女の声に合いそうな候補をいくつか考えて、レコーディングの日程を決めてロンドンに飛びました。私が楽器などを抱えて空港に到着したとき、ケイトは兄弟の1人と一緒に私を迎えに来てくれて、彼女のフラットまで車に乗りました…」
エバーハルトさんは「ドリーミング」のアルバムでハウディにで絶妙なダブルベースを演奏し、後に「愛のかたち」のセッションで再び招集されまし。「そのときは事前に準備する必要がありませんでした。飛行機で移動して、すぐにテープに録音しましたが、それでうまくいきました。そのときはマヤが一緒でした。マヤとケイトはその日の夜に素敵な会話をしました。彼の演奏は母親やこんにちは地球で聞くことができます。エバーハルトはまた、ケイトのホームスタジオで行われた「センシャル・ワールド」や「エアリアル」のレコーディングにも参加しており、ケイトの自宅のゲストとして格別の待遇を受けています。2007年には衰弱性の卒中により、演奏家としてのキャリアに深刻な影響がありましたが、ケイトはドイツの友人を作品に登場させる別の素敵な方法を見つけました。

彼の伝記から:「一緒に居心地良く過ごしていたある夜、赤ワインを何杯か飲みながら素晴らしい食事をしていたとき、ケイトは、もし再びコンサートをすることになったら、そこに私もいてほしいということをほのめかしました。2014年の夏、ケイトが35年ぶりにステージに戻ることになった時、私の携帯電話は鳴りませんでした。そのずっと前に、私の音楽のキャリアは終わってしまったと伝えていましたので。その代わりに、後でケイトからEメールを受け取りました。そこに書かれていたことには感動しました。「お伝えしてなかったかもしれませんが、あなたのすばらしい『ペンデュラム』のCDを開演前に毎日ながしていました。私のお気に入りのアルバムなので」ということは、私はそこにいたということになります。最初から、ケイトは本当に心が優しく、温かく、寛大で謙虚な人だと思っていました。彼女についてネガティブなことは、考えようと思っても思いつきません。私を中傷する者はショックを受けるでしょうね。あの永遠の批評家ウェーバーが手放しの賞賛をするなんて。ケイトは2007年に私の運命を決めた卒中のときも、2011年に妻のマヤが突然に亡くなったときも、とても丁寧に対応してくれました。立派で並外れた女性です」
愛のかたち ― 今日のできごと

ケイトのアルバムからの3枚目のカットであるタイトル・トラックは、イギリスでシングルとして1986年2月17日にリリースされ、5週間シングル・チャートに留まりました。3月6日、ケイトはBBCのTV番組トップ・オブ・ザ・ポップスで愛のかたち(当然ながらリップシンク)の素晴らしいパフォーマンスを披露し、バックではパディ・ブッシュとジョナサン・ウィリアムズがダブルベース、デル・パーマーがキーボード、そしてスチュアート・エリオット(左)と弟のリンゼイ・エリオット(右)がドラムキットを叩きました。この兄弟は大空のビデオでもダブルドラムセットで登場していますが、このテレビ公演の数週間後にエルストリー・スタジオで撮影されたものです。


このシングル(この時点でピークの18位)は翌週には24位に落ちましたが(当時は本当に重要なことでした)、それでも、チャートに関しては1986年はケイトにとって素晴らしい成功の年でした。ケイトのトップ・オブ・ザ・ポップスへの出演は、その後1994年11月17日にリリースされたアルバム「レッド・シューズ」の「人生、そして愛 」のパフォーマンスでファンを驚かるまで、8年間ありませんでした。

愛のかたち – 今日の作品
アルバムの3枚目のシングルであるタイトルトラック「愛のかたち」は、この素敵なテクスチャード加工ジャケットの7インチアナログ盤でイギリスでリリースされました。運よく最初の生産分に出会った場合には、タイトルが書かれた限定の黒いステッカー2枚付きで発売されました。(ショーンはこのステッカーを欲しがっています。お持ちの方はお知らせください)表紙にはケイトの兄のジョン・カーダー・ブッシュによる写真があしらわれています。写真集「ケイト:インサイド・ザ・レインボウ」の中でジョンは次のように書いています。「私たちはアイルランド西部のコリブ湖に沈む夕日とケイトのスタジオでのショットを合成して「愛のかたち」のシングルジャケットを作成しました。顔を半分にすることで、同じ肖像写真をさらにダイナミックにできるのは、いつも素敵に感じています」

愛のかたち ― 今日のトリビア

こんにちは地球のコーラスの後に聞こえる聖歌は、グルジアの歌「წინწყარო」です。(Ts’ints’q'aro、あついはTsintskaroと記述され、「泉の水」を意味します)。ケイトは1979年のヴェルナー・ヘルツォークの映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」で初めてこの曲を聴いており、ここに使用されたのは1978年にルスタヴィ・アンサンブルとソリストのハムレット・ゴナシヴィリが録音したものでした。
数年前、ダブリンのパネルで、アルバム「愛のかたち」の再生に際して話をするよう誘いを受けたとき、ケイトのお兄さんのジョン・カーダー・ブッシュさんに、アルバムの制作に関する話してもいいエピソードがないか聞いてみました。そのとき書いてくれたのは、ノスフェラトゥの音楽のことでした。
「ご存知のように、「こんにちは地球」の合唱部分hヘルツォークの「ノスフェラトゥ」を観て、グルジアの合唱に魅了された結果でした。ただ、その時にはその音楽はもともとどういうものかがわからず、それを突き止めるのが私の仕事でした。ヘルツォーク氏に連絡を取ることはできませんでしたが、ミュンヘンのフロリアン・フリッケと電話で話すことができました。映画のオリジナル音楽を担当していた人です。ケイトの兄弟と映画の音楽について話すということで最初は熱心に対応してくれましたが、私たちが興味を持っているのは彼の音楽ではなく、教会の合唱音楽であると指摘すると急速にすぼんでしまいました。どこから来たのか知らないということでしたが、もし知っていたとしても私に言うつもりはなかったでしょう。民族音楽ではないかという話だけでした。私には民族音楽のようには聞こえず、ギリシャかロシア正教会の音楽のようだと思っていました。
たまたま農場の向かいにあった古い教会がギリシャ正教会に接収されていたので、カセットプレイヤーを持ってそこに住む司祭に会おうと出かけました。毎日教会を開けるわけではなく、会うのは簡単ではありませんでしたが、最終的に家族と一緒に評議会のメゾネットで会うことができました。もちろん、彼は英語を一言も話せませんでしたが、その音楽をかけたところ、彼はひげの奥で微笑んで頭を振っただけでした。結局、映画のサウンドトラックから音を拾うことになりましたが、それについての手がかりが尽きてしまったからです。当時はまだ本や電話、口コミやレコード店の時代でした。今なら、すぐに答えが分かっていたでしょう。今でも、ケイトのバージョンも、オリジナルの方も、とても美しいと感じます。魅力的な話です。ジョンさん、いつもありがとうございます。
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