2023年1月25日水曜日

katebushnews.com の25周年

ブライアン・クロウリーによる2007年のアートワーク

信じがたいことですが、25年前の今日は、ケイト・ブッシュ・ニュース&インフォメーションのウェブサイトを立ち上げた日、1998年1月25日です。私はHTMLやWebデザインやPhotoshopのトレーニングを受けていませんでした(本当ですよ)。しかし、当時ネットの世界に存在していなかったものをウェブに載せたいという気持ちに駆られていました。(その時点で)5年間も活動していなかったにもかかわらず、時代を代表する非常に影響力のあるアーティストでしたし、報告に値する注目のケイト関連のニュースがあって、それを載せるサイトが必要だと考えました。もともとは、自分自身で閲覧して楽しむことができるウェブサイトを作りたいと思ったのです(そして、そんなことばりしていました)。その次代のオンライン世界は今とは別もので、Google、Facebook、YouTube、Twitterなどはなく、WordPressのような贅沢品をつかわなければ、ニュースを収集し更新を行うのは大変でした。無償の愛というやつでしょうか。

1998年のケイト・ブッシュ・ニュース&インフォメーションのニュースページ

幸いなことに、サイトはすぐにたくさんの人が見てくれるようになり、ファンのみなさんから、世界中からのあらゆる種類のニュースを惜しげなく知らせてもらえるようになりました。5年後の2003年4月には、私はフォーラムサイトを立ち上げましたが、それは今もケイトのファンの間でのあらゆる種類の議論の場となっています。ホームグラウンドを運営している友人たちも、同じサイトに居場所を置くことにしてくれて、私たちは長年にわたって特別なストーリーの共有や独占発表をしてきました。たとえばケイトがファンに向けて息子の誕生について伝えたのもこのサイトでしたし、12年ぶりのアルバムとなったエアリアルのリリース発表については世界で最初の公式の発表場所でした。最近では、2022年夏の「神秘の丘」の世界的大ヒットについて、他のどこよりも詳しくレポートをしています。。

2003年のブライアン・クローリーのデザインによる5周年記念の壁紙

「Kate Bush」でGoogle検索すると、ケイト・ブッシュの専門サイトとしてケイト本人の公式サイトに続いて2番目にランクされますが、そのことを非常に誇りに思っています。メインサイトとFacebookTwitterInstagram、そしてケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストで、私たちは活動を続けています。これまで四半世紀にわたってこのサイトを応援してくれた皆さんに感謝したいと思います。ホームグラウンドのピーター、クリス、デイブの3人、パディ・ブッシュ、ジョン・カーダー・ブッシュ、デル・パーマーの各氏のご協力に感謝します。ブライアン・クローリーさんは長年にわたりすばらしいグラフィックを作ってくれました。ポールとダレルはブッシュ・テレグラフ・ポッドキャストシリーズで、マイク・ウェイドさんには、始めたころはいろいろなドラマあったフォーラムの運営でお世話になりました。そして、私が少し気が違っていると思っていたであろう私の家族や友人に感謝します。そしてなんといっても私達をつなげてくれたのは、素晴らしい音楽を作ってくれたケイトです。本当に素晴らしいことです。ありがとうございます。? ショーンより

[ここでお知らせですが、www.katebushnews.comでやっていることを気に入っていただいていたら、ランニングコストをサポートするために、ほんの少しでも良いのでHTTPS://KO-FI.COM/KATEBUSHNEWSにアクセスしてください]
2005年初頭のケイト・ブッシュ・ニュース&インフォメーションのニュースページ

2023年1月20日金曜日

「嵐が丘」- 45年前の今日がリリース日

これが全ての始まりでした。ケイトの息をのむようなデビューシングル、「嵐が丘」は、ちょうど45年前の1978年1月20日にリリースされたのです。音楽ライターのサム・リディコットが、新しいポッドキャストエピソードを作っています。この中で、ショーンが嵐が丘について話しているのを聞くことができます[ショーンは1:02:15で聞けますが、この特別番組にはDJのマーク・ラドクリフ、パフォーマーのサラ・ルイーズ・ヤング、音楽ライターのトム・ドイルも参加しています]サムさん、ありがとうございます。

1979年のケイト・ブッシュ・ファン・クラブのニュースレターで、ケイト本人がこの曲について次のように語っていました。

ある3月の夜、真夜中ごろにアップライトピアノに座って自分のアパートでこの曲を書きました。満月の夜で、カーテンが開いていて、アイデアを探して顔を上げるたびに月が見えました。実は、かなり簡単にできた曲です。私はコーラスから抜け出せないように感じました。本当にぐるぐる回る感じがしていたので、曲の中でも繰り返しているんです。もともとはもう少し複雑なパートも書いていたのですが、うまくつながらなかったので、最初の部分を残してそれを繰り返すようにしました。KTバンドとのリハーサルで忙しかったので、しばらくぶりに書いた曲だったので、本当に嬉しかったです。


しばらくの間ずっと、書きたいと思っていたテーマです。兄のジョンが物語の話をしていたのを覚えていますが、私はあまり共感できていませんでした。それで本を借りて何ページか読んで、いくつかの言葉を抜き出してみました。この曲は本を全部読見終わる前に書いていたということになります。キャシーという名前もちょうど良くて、だれかを強く求めながら同時に憎むという私自身の気持ちを投影しやすかったんです。キャシーの気持ちが理解できました。


不思議な話をラジオ番組で聞いたんですが、英語の古語で本を書いている女性がいて、あるとき自分が知らない言葉を使っていることに気づいたそうです。調べてみると、それが正しい言葉だったというのです。「嵐が丘」でも同じようなことが起こりました。私が曲の中に入れた言葉が本の中にあると後で読んだときに気づいたんです。


私は実際の嵐が丘に行きたいと思っていますが、実際そこに行ったことはありません。誰かがその場所の写真を送ってくれました。


私にとって本当にうれしいのは、この曲についてのポジティブなフィードバックが本当に多いことです。ブロンテ・ソサエティが、名前を汚すものだと考えていると聞いたこともありますが。たくさんの人がこの曲をきっかけに本を読んで好きになったということなので、それが一番うれしいことですね。この曲がヒットした年にGCEのシラバスに載るとは思いもよりませんでしたが、たくさんの人からこの曲の思い出について手紙をもらいました。本当に嬉しいことです。


この曲にはいくつかの偶然の一致もあります。エミリー・ブロンテが本を書いた時には、末期の結核でした。そして私は曲を書いたときにひどい風邪をひいました。また、カナダにいたとき、私のダンスの先生だったリンゼイ・ケンプさんが車でわずか10分ほどの町にいることを知り、会いに行きました。そして戻ったとき、私はテレビを付けなきゃと思いました。午前1時くらいでしたが、嵐が丘の映画をやると聞いていたからです。テレビをつけると30年代のギャング映画をやっていましたが、チャネルをでたらめに回して、やっと見つけました。ちょうどキャシーが死んでいく瞬間だったので、映画の中で見たのはその場面だけです。驚くべき偶然でした。

ケイト・ブッシュ 1979年

2023年1月18日水曜日

ケイトの詩集のペーパーバック版が4月6日に発売

フェイバー社からケイトが著者の「透明人間になる方法:歌詞の世界」のペーパーバック版が、イギリスでは4月6日、アメリカでは5月9日に発売されます。新しいペーパーバック版では、ケイトによる新しい序文とジム・ケイによる新しいデザインの表紙がフィーチャーされます。表紙に隠されたKTシンボルを見つけらるでしょうか。

本日(1月18日)より予約販売が開始されます。サイン入りの本も非常に限られた数ですが販売され、一部の書店やレコードショップ(ウォーターストーンやラフトレードなど)で予約注文することができます。1月20日金曜日の午前9時に受付開始です(英国のみ)。

サイン入りのごく少数の本のうちには、ケイトが見えないインクでメッセージを書いたものもあって、ランダムに配布されます。サインの入ったページを紫外線ライトで照らすと、幸運な受信者はメモを見ることができます。

過去40年間で最も偉大なシンガーソングライターであり、その作品は複雑で、この世のものとは思えないほど美しく、数しれない秘密に満ちているため、何十年にわたってアルバムを聴いていても、毎回新しい喜びが発見できます。 . .] ブッシュの作品には、余計な言葉はありません。全ての言葉に意味があるのですアイリッシュタイムズ

2023年1月11日水曜日

ジェフ・ベック 1944-2023

1月12日(木)の更新:ケイトが公式サイトでジェフ・ベックへの献辞を書いています。

ニュースを聞いて心が痛みます。ジェフは本当にかけがえのない人でした、とても素敵で面白く、信じられないほど愛すべき人でした。
そして世界で史上最高のギタリストの一人でもあります。私たちは最も輝かしい星を一つ失い、天にはヒーローが一人増えました。
ケイト

ヤードバーズで演奏し、ジェフ・ベック・グループを率いた著名なギタリストであるジェフ・ベックが、78歳で亡くなりました。ジェフは、1993年のアルバム「レッド・シューズ」に収録されたケイトの曲ユア・ザ・ワンでギターを弾いています。ケイトは当時ファンクラブ誌で次のように書いていました:「この曲のジェフ・ベックのギターは素敵です。トリオ・ブルガルカの大ファンで、この曲で彼女たちのメロディーと共演するのをとても喜んでくれました。曲の中にゆっくりと入っていってだんだんと存在感を感じさせてから、最後にガツンとソロを取るというアイデアでした。このアルバムに参加してくれた方々とは、一緒に仕事ができて本当に光栄でした…」

1993年のサウンド・オン・サウンド誌のデル・パーマーとのインタビューでは、このセッションで使った技術のことを話しています:ユア・ザ・ワンでジェフは例の有名なストラトを演奏していますが、コンソールの下に小さなアンプを置いて、横に8センチほど離れたところから向けたU87で音を拾ったということです。デルはこう語っています。「私はコンソールに座っていましたが、ケイトは私の右側にいて、ジェフは1メートルぐらい後ろに座っていました。彼女はジェフと会話しながら、デッキを操作したりラックを調整するために立ち上がることもできました」ケイトは、ジェフ・ベックのバンドの元メンバーだったマックス・ミドルトンとも、アルバム「魔物語」で共演していました。

「孤高のギタリスト(Hot Wired Guitar)」というタイトルのジェフ・ベックの伝記によると、ベックがこのセッション用に選んだギターを見てケイトは驚いたようで、サーフ・グリーンのストラトを見て恐怖に陥ったという。ジェフが言うには、「ケイトにとっては見たこともないほどセンスのないギターだったみたいで、ほとんど吐きそうだったらしいよ」。BBCのマーク・サベージは、ジェフの影響力の大きさをこのように言っています:「彼の音色、存在感、そして何よりもあのボリュームは、1960年代のギター音楽を新しいものに作り変えてしまい、ヘビーメタル、ジャズロック、さらにはパンクなどのムーブメントにも影響を与えました」。今晩は、故ジェフ・ベックの家族、友人、ファンの皆様に心より哀悼の意を捧げます。

2023年1月9日月曜日

トム・ハンクスの新作映画でディス・ウーマンズ・ワークがフィーチャー

トム・ハンクスの新作映画「オットーと呼ばれた男」(仮)を観に行く予定があるなら、ケイトの曲「ディス・ウーマンズ・ワーク」が流れますので、お聴き逃しなく。映画の中で感情を揺さぶられるシーンの音楽として使われています。監督はマーク・フォスターで、次のような内容の映画です: 「元気いっぱいの若い家族が隣に引っ越してきて、気難しい男やもめのオットー・アンダーソンはマリソルという名の機転の利いた妊婦と出会い、そこから普通ではあり得ないような友情が芽生え、彼の世界がひっくり返したように変わっていきます」この映画を見たファンの方々によると、ケイトの昔の曲をフィーチャーしたシーンで特に感動したということです。