2025年11月6日木曜日

エアリアル20周年:6日目

エアリアルのアルバム20周年を記念して、今週は11月7日(発売記念日)まで毎日1つずつタイムカプセルを作ります。これは、ケイトのすばらしい8枚目のスタジオアルバムに関連するイベント、人、物品などを、その日ごとに集めたものです。多くの人にとって、まだ「新しい」アルバムだと感じられるはずで、とても20年経ったとは思えませんが、このアルバムからはまだまだ美しい贈り物が現れて続けています…

エアリアル – 今日のできごと

エアリアル宣伝ポスター – コロムビア・レコードUSA 2005

では、「エアリアル」のアルバムはどのような評価を受けたのでしょうか。2005年11月13日、エアリアルはイギリスのアルバムチャートで3位に入り、ビルボードがまとめたヨーロッパチャートで2位を獲得しました。そして、全世界で100万枚以上を売り上げました。言うまでもなく、ケイトはそのことをとても喜びました。新しい公式サイトで感謝を述べています。「嬉しくて舞い上がっています。本当にありがとうございます」

ケイトが公式サイトを通してファンに感謝 – 2005年11月
ケイトが公式サイトを通してファンに感謝 – 2005年11月

レビューを見ると、反応が分かります。世界中のレビュアーから、即座にケイトのキャリアにおけるハイライトと目され、圧倒的にポジティブなレビューが次から次へと現れて、このアルバムの野心的な芸術的試み(多くの人が傑作と評価)、絶妙なプロダクションの品質、感情的な深み、そして特に「スカイ・オブ・ハニー」での映画的な没入感を称賛しています。このアルバムは複雑で成熟度の高いアルバムとして称賛を受け、何年も経ったあともリスナーの心に響き続けると考えられました(そして、その通りになっています)。レビューの中のほんの一部を紹介します。

UKタイムズ:「3枚組の絵のようなラスト3曲、サムウェア・イン・ビトウィーン、ノクターン、エアリアルは、一年を通して聞くアルバムの最も喜びに満ちた陶酔的なフィナーレです」。BBC:「これは傑作です」。オブザーバー(5つ星レビュー):「実験的なポップ・ミュージックという言語で見事に表現するアーティストであり、その文化の中で大切にされ、贅沢な位置を占めています。彼女のような人は他にはいません...シーンに戻ってきてくれてありがたいことです」。インデペンデント:「依然としてインテリジェントな大人向けポップの最先端で活躍しており、これまでのキャリアを通してやってきたのと同様、今の空気を捉えています。ただ、前より少し変かもしれません」。ホットプレス(10/10レビュー):「天才的な作品です…数え切れないほど信じられないような美しさがあります」。アティチュード誌(5/5評価):「束縛されない意識下の究極の傑作」。

2005年11月のドイツのローリング・ストーン誌の表紙のケイト。
2005年11月のドイツのローリング・ストーン誌の表紙のケイト。

音楽販売店のHMVと協力で作った特別な2005年のクリスマス時期のテレビCMでは、こうしたレビューを取り入れています。この偉大なアルバムを祝福するための完璧な声が必要だと考えたケイトは、キャリーオンの映画での役やハリー・ポッターの組分け帽子の声で知られるベテランのイギリス人俳優、レスリー・フィリップスにアプローチしました。興味深いことに、彼は1990年のGLCコミックストリップのキャストでもありました。

ラフコメディの達人で、上流階級風のキャラクターや不滅のキャッチフレーズ「ディン・ドン」でよく知られていましたが、愛すべきレスリーは2022年11月に98歳で亡くなっています。2006年のインタビューで、次のように語っています。「面白いことがあって、ケイトから電話があって、レコードの広告のナレーションをしてほしいと言ってきました。私のアクセントが大好きだと言ってくれていて、それ以来たくさん話して、良い友達になりました」。私がオンラインで打診してみたら、ファンのカレブ・アルウィン・ジェームズさんが、埋もれていたYouTubeクリップを見つけてくれました。下でご覧ください。

レスリー・フィリップス
レスリー・フィリップスは、HMVのクリスマス時期のエアリアルのテレビ広告で声を担当。

11月上旬、ケイトはケイト・ブッシュ・クラブのメンバーに、継続的なサポートについての個人向け感謝状を印刷して送りました。

日本では、アルバムの発売日が世界の他の国々よりもほぼ一週間早い11月2日でした。下の写真は@hiromgogoのもので、「2005年11月1日に大阪のタワーレコード梅田店で撮影。ケイトへの愛に満ちた素敵な空間でした」とされています。

大阪のタワーレコード梅田店 – 2005年11月1日
日本でのエアリアルの店頭ディスプレー

2006年1月10日に、ケイトはブリット・アワードのベスト・ブリティッシュ女性ソロアーティストとベストブリティッシュアルバムの2部門にノミネートされました。

多くの国際的な雑誌の表紙を飾ったトレバー・レイトンによるケイトの新しいポートレート
多くの国際的な雑誌の表紙を飾ったトレバー・レイトンによるケイトの新しいポートレート

エアリアル – 今日の人

ダニー・マッキントッシュ、1970年代のバンディットのメンバーとして(中央)、右はラバーバンド・ガールのビデオでのケイトとの姿
ダニー・マッキントッシュ、1970年代のバンディットのメンバーとして(中央)、右はラバーバンドガールのビデオでのケイトとの姿

ダニー・マッキントッシュ、あるいはバーティの「パパ」はエアリアルのアルバムのいたるところに顔を出し、本当に家族がかりという感じです。これは、ケイト・ブッシュのリリースではいつものことですが。ダニーは1956年5月4日にロンドンで生まれ、子供の頃からギターの演奏に強い興味を抱いていました。ダニーは10歳でギターの正式なトレーニングを受け始めましたが、ギタリストとしてのキャリアをスタートさせたのは学位を取得した後でした。

1976年のバンディット。左から右:ジム・ダイアモンド、クリフ・ウィリアムズ、グラハム・ブロード、ジェームズ・リザーランド、ダニー・マッキントッシュ。

彼はすぐにバンドバンディットのギタリストになり、このバンドでアルバム「バンディット」(1976年)と「パートナーズ・イン・クライム」(1978年)をリリースしました。バンディットのリード・シンガーであるジム・ダイアモンドは、イギリスのソロ・チャートでも成功を収めました。ダニーはその後バンドザ・クイックに、アルバム「ワン・ライト・イン・ブラックアウト」(1982年)で参加しました。1980年代にはダラー、デニス・ウィリアムズ、エイミー・スチュワートのアルバムでギターを演奏しました。

1993年には、ケイトのアルバム「レッド・シューズ」では、1990年に達人のアラン・マーフィーが亡くなった後、ダニーはケイトのアルバムのギターワークを引き継ぐという大変な仕事に当たり、これを落ち着いてなしとげました。彼はケイトの曲であるラバーバンド・ガール(ミュージックビデオにも登場)、レッドシューズ心の中の星トップ・オブ・ザ・シティソロモンの唄リリィでギターを演奏しています。

ダニーはエアリアルのすべてのエレキギターとアコースティックギターを担当

エアリアルでは、ダニーは建築家の夢透明人間になる方法キング・オブ・ザ・マウンテンノクターンπ~円周率3セットサムウェア・イン・ビトウィーンエアリアルで、さらに素晴らしいギターを演奏しています。2011年には、雪のための50の言葉ミスティウィーラー街で雪に閉じ込められてスノーフレイクワイルド・マンで演奏しています。圧巻の仕事ぶりです。

エアリアル – 今日の作品

katebushcollectables.comのご協力でお届けします)

2005年のクリスマスが近づくと、ケイト・ブッシュ・クラブのメンバーに向けて、アルバムの成功に感謝するために、ケイトはバーティのイラストを添えたクリスマスカードを送りました。

ケイト・ブッシュ・クラブのメンバーに送られた特別なサンプラーCD付きの2005年クリスマスカード。

ケイト・ブッシュ・クラブ(KBC)のメンバーに郵送されるものとしては最後になることを知っていたケイトは、1978年~1993年の曲を収録した9トラックの紙ジャケットEMI CDサンプラーを同封しましたが、このCDはわずか2000枚の限定品でした。このCDには、シングル「イート・ザ・ミュージック」のカバーのジョン・カーダー・ブッシュによる写真が使用されています。

ケイト・ブッシュCDサンプラー2005

このプロモーションCDは、ケイトを報道機関、メディア、サポーターに改めて紹介するために特別に作成されたもので、アルバム「エアリアル」の発売に先立ってプレスパックとして送付されていました。何部かは、イギリスで1ページのA4版EMIプレスリリースと共に発行されました。ケイト自身が選んだトラックリストには、レッド・シューズのアルバムの中のケイトのお気に入りが入っています。ソロモンの唄リリィトップ・オブ・ザ・シティは、2011年の「ディレクターズカット」でも再訪した曲で、後の2曲は2014年にステージでもライブ演奏しています。いつもと同様、あちこちに手がかりがあります。

9トラックのプロモーションCDに付属のEMI UKプレスリリース(2005年)
9トラックのプロモーションCDに付属のEMI UKプレスリリース(2005年)

エアリアル – 今日のトリビア

ジョセフ・エドワード・サウスオール(1861年~1944年)作「漁師と船」(1920年)。リネンにテンペラ、19インチ x 33インチ。
ジョセフ・エドワード・サウスオール(1861年~1944年)作「漁師と船」(1920年)。リネンにテンペラ、19インチ x 33インチ。

ケイトがエアリアルのブックレットのアートワークに使ったもう1つのイギリス人画家による作品は、ジョセフ・エドワード・サウスオール(1861年~1944年)による絵画、「漁師と船」(1920年)です。アルバムのために、ケイトは絵の方向を反転させ、白いペンキでボート自体に「Aerial」という名前を付け加えました。この絵は現在ケイトが所有しており、2005年にモジョ誌のために彼女の自宅でインタビューした作家トム・ドイルが触れています。「暖炉の上にはジョセフ・サウスオールの絵画『漁師と船』が掛かっていて、悪天候をくぐり抜けた老練の船乗りたちが船と向き合う様子が描かれています。この絵はまもなくエアリアルの中ジャケットのアートワークの一部として知られることになります」

Kateは画像を反転させ、船に「Aerial」という名前を追加

ジョゼフ・エドワード・サウスオールRWS NEAC RBSA(1861年8月23日~1944年11月6日)は、アーツ・アンド・クラフツ運動に携わったイギリス人画家です。19世紀から20世紀初頭にかけてのテンペラを用いた絵画の復活における指導的人物であったサウスオールは、ビジュアルアートにおけるロマン主義の最後の前哨部隊の一つであるバーミンガム芸術家-職人グループのリーダーであり、後のラファエル前派と20世紀初頭のスレード象徴主義者とをつなぐ重要な役割も持っていました。

ジョセフ・エドワード・サウスオールの自画像(1925年)、木製ケース入りブオンフレスコパネル
ジョセフ・エドワード・サウスオールの自画像(1925年)、木製ケース入りブオンフレスコパネル

サウスオールは終生クエーカー教徒で、社会主義者、平和主義者として活動し、当初は自由党、後に独立労働党の急進的な党員でもありました。1898年にロイヤル・バーミンガム芸術家協会(RBSA)の準会員に選ばれ、1902年に会員になっています。1939年には同協会の会長になり、1944年に亡くなるまでその座にありました。

「アップ・フロム・ザ・シー」(1920年)。布地にテンペラ。30.5cm x 41cm

1920年に制作されたもう一つの作品「アップ・フロム・ザ・シー」は、同じ絵の別バージョンで、こちらでは漁師が船を陸揚げする作業を少年が見ています。

エアリアル – 今日の鳥

ヨーロッパコマドリの歌は、かぼそく比較的ゆっくりした音の列で、音程は高くなったり低くなったりしながらところどころ速くなり、音が溶け合っていきます。感傷的な響きもあり、冬の歌はその傾向が強くなります。「チッ」という音が鳴ることもあり、繰り返されると古い時計のネジを巻いているように聞こえることもあります。また、悲しげで密かな「シーッ」という音もあります。

小さく愛らしいヨーロッパコマドリプロローグ(ビフォー・ザ・ドーン)の歌詞にも使用されており、2022年のケイトのファンへのクリスマスメッセージでもフィーチャーされました。こう書いています。「今年は友人へのクリスマスプレゼントに小さなコマドリを選びました。この控えめな小鳥はクリスマスの象徴ですが、エミリー・ディキンソンの美しい言葉を借りると希望の象徴でもあります。『希望とは魂の中に宿る羽根』なのです」

おそらくアイルランドとイギリスで庭にも現れる最も馴染みのある鳥で、明るい赤みの入ったオレンジの胸と顔の部分で間違いなく見分けられます。頭から背中は均一な灰色がかった茶色で、腹と下胸は灰色がかった白です。くちばしは黒くて尖っており、足も黒です。とてもふっくらして丸みを帯びているように見えることがあり、特に寒い時期に羽毛がふわふわになるとなおさらです。人を怖れることが少なく、ガーデニング作業をしている近くで木に止まったまま動かないこともよくあります。ときおり、尾をピンと立てます。

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