2023年1月20日金曜日

「嵐が丘」- 45年前の今日がリリース日

これが全ての始まりでした。ケイトの息をのむようなデビューシングル、「嵐が丘」は、ちょうど45年前の1978年1月20日にリリースされたのです。音楽ライターのサム・リディコットが、新しいポッドキャストエピソードを作っています。この中で、ショーンが嵐が丘について話しているのを聞くことができます[ショーンは1:02:15で聞けますが、この特別番組にはDJのマーク・ラドクリフ、パフォーマーのサラ・ルイーズ・ヤング、音楽ライターのトム・ドイルも参加しています]サムさん、ありがとうございます。

1979年のケイト・ブッシュ・ファン・クラブのニュースレターで、ケイト本人がこの曲について次のように語っていました。

ある3月の夜、真夜中ごろにアップライトピアノに座って自分のアパートでこの曲を書きました。満月の夜で、カーテンが開いていて、アイデアを探して顔を上げるたびに月が見えました。実は、かなり簡単にできた曲です。私はコーラスから抜け出せないように感じました。本当にぐるぐる回る感じがしていたので、曲の中でも繰り返しているんです。もともとはもう少し複雑なパートも書いていたのですが、うまくつながらなかったので、最初の部分を残してそれを繰り返すようにしました。KTバンドとのリハーサルで忙しかったので、しばらくぶりに書いた曲だったので、本当に嬉しかったです。


しばらくの間ずっと、書きたいと思っていたテーマです。兄のジョンが物語の話をしていたのを覚えていますが、私はあまり共感できていませんでした。それで本を借りて何ページか読んで、いくつかの言葉を抜き出してみました。この曲は本を全部読見終わる前に書いていたということになります。キャシーという名前もちょうど良くて、だれかを強く求めながら同時に憎むという私自身の気持ちを投影しやすかったんです。キャシーの気持ちが理解できました。


不思議な話をラジオ番組で聞いたんですが、英語の古語で本を書いている女性がいて、あるとき自分が知らない言葉を使っていることに気づいたそうです。調べてみると、それが正しい言葉だったというのです。「嵐が丘」でも同じようなことが起こりました。私が曲の中に入れた言葉が本の中にあると後で読んだときに気づいたんです。


私は実際の嵐が丘に行きたいと思っていますが、実際そこに行ったことはありません。誰かがその場所の写真を送ってくれました。


私にとって本当にうれしいのは、この曲についてのポジティブなフィードバックが本当に多いことです。ブロンテ・ソサエティが、名前を汚すものだと考えていると聞いたこともありますが。たくさんの人がこの曲をきっかけに本を読んで好きになったということなので、それが一番うれしいことですね。この曲がヒットした年にGCEのシラバスに載るとは思いもよりませんでしたが、たくさんの人からこの曲の思い出について手紙をもらいました。本当に嬉しいことです。


この曲にはいくつかの偶然の一致もあります。エミリー・ブロンテが本を書いた時には、末期の結核でした。そして私は曲を書いたときにひどい風邪をひいました。また、カナダにいたとき、私のダンスの先生だったリンゼイ・ケンプさんが車でわずか10分ほどの町にいることを知り、会いに行きました。そして戻ったとき、私はテレビを付けなきゃと思いました。午前1時くらいでしたが、嵐が丘の映画をやると聞いていたからです。テレビをつけると30年代のギャング映画をやっていましたが、チャネルをでたらめに回して、やっと見つけました。ちょうどキャシーが死んでいく瞬間だったので、映画の中で見たのはその場面だけです。驚くべき偶然でした。

ケイト・ブッシュ 1979年

0 件のコメント: