ショーン・トゥメイ記す:
結局は1つの微笑みだけにたどり着く。
16年にもわたってこのニュースサイトを運営していながら、 2014年3月に遡ると、チケットを手に入れられるという確証は 全くありませんでした。 この何年かの間、古びてしまったサイトのFAQをときどき見ては、 ケイトのツアーがまた行われるかどうかについてのQAの 部分をちょっと手直ししたりしていました。 もうツアーはないだろうとだいたいのところ決めつけていたということは、 白状しないといけません。 時計を2014年8月26日に進めると、 私はケイトの1979年以来はじめてのコンサートの聴きたての感想を 求めるラジオやテレビのインタビューの依頼を断る羽目になっていました。 なんと非現実的なことでしょう。
初日のステージはあまりにもすごかったので、 インタビューなど受けられる状態ではありませんでした。 ワクワクしながら、ダブリンから5人の友人たちとはるばるやってきて、 シェファード・ブッシュ・ロードのタイル張りが印象的なワガママレストラン に居ました。 ちょうど5時半になったころ、 それまでだんだんと広がってきた心地の良い幸福感が、 突然に止んでしまいました。 友人たちがメニューを忙しく探すのを見ながら、 お腹にズンと来るものがありました。 急に心細くなり、冷や汗までかいていました。 どうして急にこんなことになってしまったか、根本原因を心に 尋ねてみたら、 この場で私を包んでいる興奮の正体が、一つの思いに結晶してゆく 気がしました。 「今あの人はどんな思いなんだろう。いま何をしているんだろう?」
席を立ってハマースミスに向かい、あのビフォー・ザ・ドーンのサインに 近づくと、私の想いはケイトその人に向かっていました。 何年もの間、このように人目に立つことを避けていたにも かかわらず、こんな大変な責任を背負うことを良しとしたのだと。 何年も前、2002年には、イースト・ウィッカム・ファームのキッチンで、 少しだけ会ったことがあります。 気さくで家事に忙しいお母さんの顔でした。 そのあと、最初にボウイに会った時のことのケイトの表現にならえば、 私は「部屋を出てドアの外で一息つくと、もう戻る気にはなれませんでした」。 ほんの少しの間ですが、有名人の普段の顔を垣間見たのです。 そして、アポロへの行列に近づくにつれ、あの控えめでおとなしい女性が こんな大変なイベントを背負っているというのが信じられない思いでした。
それからは忙しい展開で、 入場者の整理のためのバリケードが設置される中、テレビのカメラマンや機会をうかがうインタビューア、 うるさいダフ屋やガードマンを横目に見ながら、 ドアに近づいてゆくと、 誇らしげに、あるいはちょっと恥ずかしげにTシャツやバッジを身に着けた ファンの集団の中に流れ込んでゆきました。 チケットがスキャンされます: そう、ちぎりはしないので、海藻とアネモネは無事です。 グッズ売り場: あれは本物の救命用浮輪なのでしょうか? 会場: アールデコ調で、ゆったりとしたエバーハード・ウェーバーの音楽が、 ステージから流れます。 ステージ: 楽器が見えます。丸見えですが、幕はたまたま上がっていたのでしょうか。 これが本当にケイト・ブッシュの音楽を演奏する楽器たちなのでしょうか? 見せているのもケイトの演出意図でしょうか。 プログラム: 座席でちらっと眺めたところでは、 手の込んだ舞台セットやケイトの記した文章など。 座席: 前から3列目、真正面でした。
また楽しい気分が戻ってきました。それも圧倒的に。 会場がいっぱいになり、ショウへの案内のアナウンスが流れ、 そしてリリー・コーンフォードの声が私たちを護ってくれます。 それはまるで、音と光がはじけるまえに深く息を吸っているかのようでした。 そして、彼女が現れます。 踊りながらステージに向かって行進すると、 満場のオーディエンスが絶叫で迎えます。 ケイトの落ち着いた微笑み。 うなづきながら観客を眺めわたしたあと、コーラス隊が位置に着くと 地響きを上げる観客に向かって両手を広げて挨拶をします。 安らぎのある、神々しいほどの笑みでした。 ナーバスな感じはほとんど感じられません。 バーティーもステージにいます。家族や仲間がそこにいるのです。 これからとんでもないステージを見せてくれるのです。 それが分かっているかのようでした。 忘れられない夜になる。そんな感じでした。
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