2018年10月3日水曜日

カメラマンのマイク・マイルズが回想するケイトの「赤ドレス」版ビデオ

Kate Bush Wuthering Heights red dress

先月には、ケイトの嵐が丘のビデオの最初のバージョンが撮影された正確な場所が ファンによって特定されましたが(こちらのレポートをご覧ください)、 なんとサイトのフォーラムのケストレルさんが、その撮影のカメラマンであるマイク・マイルズに コンタクトしました。 それによって、撮影の日付(1977年10月26日(水))も明らかになり、 その日の撮影についての詳しい話も明かしてもらうことができました。 ケストレルさん、ありがとうございます!

ケイト・ブッシュ … ‘嵐が丘プロモ’ … ソールズベリー平原 … 1977年10月26日(水)

1976年から1982年にかけて私は、 ニック・エイブソンのロックフリックスという会社でフリーランスのライティング・カメラマン として働いていて、ニックと音楽プロモやコンサート映像を撮っていました。 制作はすべて16ミリフィルムでやってました(ビデオなんてものはありませんでした)。 1977年の10月3日から11月5日まで、私はニックと一緒にスティッフレコードの"ライブ・スティッフ・ツアー" と題したUKツアーに同行していました。 イアン・デューリーとブロックヘッズ、エルビス・コステロとアトラクションズ、 ニック・ロウ、レックレス・エリック、ラリー・ウォリスといった人たちがフィーチャーされていました。 撮影していたのは、ツアードキュメンタリーで、 "If It Ain’t Stiff ..It Ain’t Worth a F…" という長編フィルムでした。 バスでUK中をバンドに付き添って回りましたが、運転していたのは、もちろんトレヴァーさんでした。 そのツアーの間にやったいろいろなバカ騒ぎのことについてはあえて触れないでおきますが、 いくつかは映画の中にも入っていますね。 M1のワトフォード・ギャップの「ブルー・ボア」というサービスエリアで よろしくない行いをしたということでつまみ出されたのが撮影隊だったということを お伝えしておけば十分でしょう。

イングランド西部からウェールズにに向かう途中、空いた日がありました。 その日を埋めようと、ニックは次のスティッフのライブに向かう途中で プロモを撮ろうという仕事を入れました。 そのプロモは聞いたこともないケイト・ブッシュというシンガーの曲のもので、 最初に曲を聞いた時のことを思い出すと、ケイトはえらく高い声だなあという印象でした。 西に向かわないといけなかったので(次のライブはたぶんカーディフだったかと思います)、 ニックはソールズベリー平原で立木のある草原を見つけてきました。 そのあと移動するにはうってつけの場所でした。

前の晩、ソールズベリーのホテルに宿を取りましたが、 そこでケイト・ブッシュに会って食事を一緒にしました。 ケントのウェリングで育ったというのを聞きました。私が育った町から2マイルほどです。 うら若いケイトにとっておじけづくような雰囲気だったと思います。 ごろつきみたいなのに囲まれて、初めて泊まるホテルで初めてのプロモの撮影の 準備をしようというのですから。 賢明にも、彼女はバーで一杯やろうかという私たちの誘いに乗らず、 早めに部屋に戻りました。

翌朝早く、ロンドンから年代物の白いバンに乗って、 エレマック・スパイダー・ドリーと曲線軌道をやまほど運んできた撮影助手と落ち合いました。 もう秋で雨が降っていたんですが、道から入るところがぬかるんでいて バンが重かったので、なんとかその場所に車をいれようとやり直した後、 泥に完全につかまってしまったんです。 けっこうなみちのりで500キロぐらいあったんで、ドリーを下して現場まで運ぶのは無理でした。 ただ一つの解決策は、トラクターに乗った地元の農家の人を見つけて、 バンを脱出させ、現場に向かうことでした。 2~3時間後、トラクターに乗った親切な農夫に会うことができました。 どんよりした朝で、その場所も、いちおう草が生えていたものの、 一面耕したあとのような感じでした。 でこぼこしていて、スロープになっていました。 たいへんな思いをしながら軌道を大きな半円に敷いて水平を確かめ、 ドリーとカメラをセットしました。 そして、ケイトが合わせて踊る曲を流すための再生装置もセットされました。 準備万端です。

けど、映像を引き立てるためにできることはあまりありませんでした。 軽めの拡散フィルターを使いましたが、空のフレアが出そうだったので注意が必要でした。 鈍いけど他よりもずっと明るい空の影響を和らげるためにグラデーションフィルターを 使うことも考えましたが、木もあるしフレーミングの流れを考えるとそれも使えません。 ケイトの顔に遠くから当てるようなパワフルなライトもありませんでしたし、 目に向けてリフレクタを使おうにも陽がさしてませんでした。 クローズアップではなんとか手持ちのリフレクタを使いましたけど。 それから、小さなスモークマシンもありました。残念ながら風が強かったので、 ケイトの顔からあっという間に流れてしまいました。 機材を準備している間に、ケイトが私のところにやってきて、 自分がどんな風に見えるかはカメラマンに聞くといいよと教えられたと言いました。 きれいなロングヘアで、造花を髪につけていました。 それを付けていたほうが良いか、きれいに見えるかと聞かれました。 良い感じでしたし、できればそれを付けていたいという気持ちも伝わってきました。 似合っているから付けていたほうがいいよ、と伝えました。 ニックが焦り始めたので、ほとんどリハーサルもせずに撮影に取り掛かりました。 開始が遅れて、午後にはスティッフのライブに行かないといけなかったので、 時間が無くなってきていました。

撮影を始めると、ケイトはすぐにダンスに没頭し、熱心に練習をしてきた様子が見えました。 全曲をできるだけ多く繰り返して、いろんな場所で、ときどき止めながら、 引きの絵から極端なクローズアップまでいろいろなサイズを試しました。 そうするうちにケイトのダンスは熱を帯びてきて、 髪につけた花がゆるんできてバタバタするようになってきました。 髪の毛が絡まるようなこともあったのですが、 撮影を止めて花を外して全部やり直すには遅すぎます。 ほんとうに時間がありませんでした。 花について、いいよと言ったのはまずかったかなあと思い始めました。 ケイトにもでこぼこの草原でのダンスで疲れが出てきていました。 寒くなってくるころ、何回ものテイクを重ねたあと、撮影を終了して 片付けないといけませんでした。 朝早くの開始で、車がはまってしまったことやダンスには向かない地面、 鈍くて寒い天気といった条件を考えると、ケイトはこれ以上ないほど 協力的で我慢強く、だれに対してもにこやかにふるまっていました。 彼女の声にも慣れてきて、好きになってました。 でも、その曲がヒットするかとか有名になるかとはあまり考えられませんでした。 分かってませんでしたね。 クルーのみんなでケイトをソールズベリ駅まで送りましたが、ロンドンへの電車に 乗り込もうとするときに、彼女は私をはぐして頬にキスしてくれました そのときにはみんあ彼女のファンになってましたね。 それから、スティッフのツアーに向かいました。

撮影監督 マイク・マイルズ

0 件のコメント: