2016年4月21日木曜日

RIP プリンス (1958-2016)

4/22追記: ケイト本人が公式サイトにプリンスについての素敵なメッセージを 発表しました。

プリンスさんに寄せて

ケイトより…

プリンスさんについての痛ましい報せはとても悲しく、ショックでした。 彼ほど類いまれな才能を持った人はいないでしょう。 作詞作曲、演奏、プロデュース、ディレクションまで、自身の作品を完璧に コントロールできる人でした。 茶目っ気があって恐ろしいほど才能のある天才です。 私の観た中では最高にクリエイティブですごいライブでしたね。 真の意味で魔力のようなものを持った人を失ってしまいました。 プリンスさん、安らかにお休みください。

今日の、プリンスが亡くなったという知らせは、 とても悲しいショッキングな出来事でした。 また一人、スーパースターが、そして素晴らしいミュージシャンが亡くなってしまい、 世界が悲しみに包まれることになりました。 ケイトは以前、彼のことを「恐ろしく才能のある」と称していました。 ご家族、ご友人たち、そしてご関係の方々に哀悼の意を表します。

Prince

プリンスはケイトと、 1つはレッド・シューズに収められたホワイ・シュッド・アイ・ラブ・ユー と、3枚組のエマンシペーション(1996)に収められた マイ・コンピューター の2曲で共演しています。 後者でのケイトのボーカルはほとんど聞こえないほどですが、 ケイトのアルバムでの共作は1993年当時、 音楽業界で大きな話題になりました。 のちにレッド・シューズとして発表されるアルバムの制作に 取りかかったころ、ケイトとデルの2人は ウェンブリー・アリーナでのコンサートに出かけました (自身のライブをやるための会場探しの目的もあったようです)。 プリンスからのメモを受け取ったのですが、 そこには彼女の作品が好きだと書いてあったそうです。 ここから、アメリカのペイズリー・パーク・スタジオと ケントのホームスタジオとの間でのテープのやり取りが 始まりました。 そして、そのトラックに最終的にはプリンスのボーカルのほかにも コメディアンのレニー・ヘンリーのボーカルを入れたり、 トリオ・ブルガルカのきらめくハーモニーやブラスセクションまで 入れて作品として完成させました。

Paisley Park Studios

ペイズリー・パーク・スタジオ

ケイト・ブッシュ・クラブの会報に、 デル・パーマーがプリンスのテープが初めて届いたときのことを 書いていました。 :

「箱の中には、ペーズリー・パークのラベルの付いた24トラックのテープが 2本収められていました。 私たちはすっかり舞い上がってしまい、息をつぐ間もなく テープをデッキにかけて何が入っているか聞いてみました。 そのテープに入っていたのは、全く予想もしなかったようなものだったんです。 プリンスはオリジナルのトラックからちょっとした部分を切り取って、 それをループにしたのをもとに、ギターやキーボードなどの演奏を テープいっぱいに記録していたのです。。 私は驚くばかりでしたが、ケイトはすぐにそこからどうしたら良いかが 分かったみたいでした。 ケイトが書いた曲の面影はありませんでしたが、 大幅に書き直しをしてサンプリングを施して、 ケイト・ブッシュの曲に仕上げたのです。」

Why Should I Love You

ケイトも同じ会報にこの曲の制作のことを書いています:

「ホワイ・シュッド・アイ・ラブ・ユーは、 R&B 風の曲から出来上がりました。 プリンスさんがギターを弾いてくれたらいいなとか思ってたんですが、… その後のことは予想もしませんでした。 この曲で共作をしてもよいと言ってくれたのでとっても嬉しかったのを覚えていますが、 テープを送ってそれを送り返してもらいました。 送られて来たテープをかけてみると、ファンクグルーブの ベース、キーボード、ギター、バックボーカルが入っていたんですが、 笑っちゃいましたね。 もとの曲の面影が残っているところもありましたが、 オリジナルの発想を残しながらプリンスの演奏とのコラボを実現して、 もともとの曲の構成に戻してゆくのは大変な作業でした。 その作業はなかなか面白くて、出来上がった作品もちょっと普通とは違ったものに なりました。 プリンスさんはとんでもない才能をお持ちで …ずるいって気もしますけど…私がやっと1枚アルバムを仕上げている間に、 3枚もアルバムを出して、2回ワールドツアーをやって、テレビの特番やビデオも作りながら、 で、ギターも私より上手なんですから…」

Prince

プリンス・ロジャーズ・ネルソン(1958年7月7日 - 2016年4月21日)

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