2018年2月17日土曜日

天使と小悪魔が本日40周年! 伝説のカイトのアルバムカバーの制作秘話

The Kick Inside

“…and then I find it out, when I take a good look up. There’s a hole in the sky, with a big eyeball, calling me….come up and be a kite, and fly a diamond night…”

ケイトの衝撃のデビューアルバム天使と小悪魔は、 40年前のちょうど今日、1978年2月17日にリリースされました! 当時のケイトはまだ19歳で、嵐が丘のシングルはすでに世界的なヒットに向けての足取りを 進めていました。 アルバムのうち2曲(サキソフォーン・ソングと少年の瞳を持った男)は 1975年にロンドンのAIRスタジオでデヴィッド・ギルモアのプロデュースで録音されましたが、 他の曲はアンドリュー・パウエルのプロデュースで 1977年の7月から8月にかけて同じスタジオで録音されました。 このアルバムはUKアルバムチャートで3位にランクインし、世界中の多くの国でトップ10に入りました。

個人的には(ショーンのことですが)、これは私が最初に親しんだケイト・ブッシュのレコードでした。 そのころは10代の呪われたように落ち込んだ時期で、自分の寝室で 気が違ったようにひどい虚無感にさいなまれていました。 行き場を見失って、ひどい状態でした。 それでも本能的に思いついたのは、自分が大きな声で悲しみに泣いているのを階下の家族が 聞いたら大変だ、ということでした。 自分がひどく混乱しているのを隠そうとした相手が、 何事からも自分を守ってくれるはずの家族であったということを思うと、 よくそんなことを考えたと思ってしまいますが。 自分が泣いている声を隠そうと、(同じ部屋で寝ていた)兄のアレンがたまたま聴いていた アナログ盤に針を下したのです。 それが実は天使と小悪魔で、針を下した曲はローリン・ザ・ボールでした。 大音量で。

その曲は私の孤独な悲しみの霧を貫いたのです…瞬間的に。 ケイトの声はレコードプレーヤーから手を差し伸べて私の手を取り、 全く新しい違うところに連れて行ってくれるようでした。 人生を楽しむ新しい方法というところでしょうか。 “Them heavy people hit me in a soft spot…them heavy people, help me…” 追い詰められて我慢の限界に近付いていた若者にとって、 それはとてつもない救いの光でした。 音楽が文字通り人生を変えたのです。 身なりから何から全てが変わり、私にとってはケイト・ブッシュの音楽が私を救ってくれる 幸運の印だったのです。 天使と小悪魔はその後のもっと大事な作品につながってゆくような デビューアーティストのまぐれ当たりなどではなく、 それ自体が恐るべき世界を変えるような傑作と言うべきでしょう。 レコードの溝に込められた叡智というのは本当に深いのです。

The Kick Inside international covers

International cover variants of The Kick Inside

このアルバムへの私の執着は置いておいて、 当時私たちが手に取っていつくしんだ、アルバムのカバーアートについての 記事をここで記したいと思います。 UKを含む多くの国では、このアルバムのカバーには、巨大ですべてを知っているような目の前に かかる巨大な竜の絵の凧にぶら下がるケイトの写真が使われています。 この後の文章はリサ・オリバーさんが寄せてくれたもので、 写真家ジェイ・マイドラル自身によるフォトセッションの記録です。 この文章は、リサさんが最近主催したケイト・ブッシュのファンイベントのお土産のブックレットに 入っていたものです。 ジェイさん:

Jay Myrdal

ジェイ・マイドラル

これは言っておきたいんですが、 ケイトのファーストアルバム「天使と小悪魔」の写真を撮影したときには、 だれも彼女のことなんか知らなかったんです。 まだすごく若くて、EMIでさえファーストアルバムがちょっと当たればいいかなというぐらいの感じでした。 レコード会社としてはすごい才能だとは認めていましたけど、チャートのトップを飾った時には 他の誰もと同じように驚いていました。 撮影の前には嵐が丘のテープを聞かせてもらいましたけど、 興味深い音楽ではあるけど、ちょっと甲高い声であんまり売れそうな気はしませんでしたね。

知る由もありませんでした。

ケイトはお父さんに連れられてやって来ましたが、 車には木材と着色された紙がいっぱい積んであって、それで写真に登場した 凧を組み立てたのです。 その頼りなげな凧をスタジオの黒い背景の壁にかけて、 ロープで鉄棒を渡して彼女がぶら下がれるようにしました。

Jay Myrdal photo 2

撮影のために組まれたロープと鉄棒が見えるオフショット

そのうち、ケイトは奥の部屋で金のボディーペイントをしたメイキャップの女性と いました。 写真の構成は100%ケイトとアートディレクターのスティーブ・リッジウェイの アイデアで、私はほぼ言われるがままに撮りました。 ディズニーのアニメ映画「ピノキオ」がもとで、 ジミー・クリケットが鯨の目の前を傘をパラシュートにして飛ぶところが

Jiminy Cricket in Pinnochio

ウォルト・ディズニーの「ピノキオ」(1940)のスチル

撮影はもちろんうまくいきましたけど、 その結果がどう使われるかは何も教えてもらえませんでした。 シングルジャケットで使うから黒の背景で撮るようにと言われたんですが、 その通りだったら全く問題ありませんでした。 あろうことか、例の眼の明るい黄色を背景にして合成されたのですが、 そうすると彼女の足の影の黒いところと凧の下のへりのところが うまくありません。 そういうことで、私が撮影した中ではいちばん有名なレコードであると思うんですが、 自分の作品集に載せたことは一度もありません。 私も完璧主義者なので、技術的なあらが我慢できないのです。

Jay Myrdal photo 3これも、知る由もありませんでした。

撮影のあと、ケイトは何回か私のスタジオを訪れました。 一度は凧を回収するため、そのあと何度かあいさつに来ていました。 レコードがリリースされてすぐ、 私のスタジオでパーティーをしたときにケイトにも声をかけましたが、 そのときにはすでに超有名になっていて忙しく、 レコード会社からお詫びが届きました… (残念!) ジェイ・マイドラル FRPS


凧のテーマは裏ジャケットにもつながり、 ジョン・カーダー・ブッシュによるくすんだ荒い写真を 背景にデル・パーマーによる凧に乗った男の イラストが配されています。 このイラストはケイトのアルバムのアートワークに隠された KTシンボルの実に最初の登場でした。 – 現在に至るまですべてのアルバムリリースで続けられています。 さらに詳しく見ると、デルが自分の名前“DEL” を 図案化して、この凧の右側に忍び込ませているのに気づきます。 デルさんは、1977年9月ごろの初期のコンセプトスケッチを自身の 公式フェースブックページ で紹介しています:

Del Palmer kite concept

デル・パーマーの凧男のイラストの初期のコンセプトスケッチ

Del Palmer Kite symbol

天使と小悪魔(1978)の裏ジャケットの部分拡大

同じセッションで撮られた凧に乗ったケイトの姿が、 UKをはじめとするヨーロッパの国々の嵐が丘のシングルで使われました。 – 1978年1月20日のリリースで、B面はまさに「風に舞う羽根のように(カイト)」 です。

Wuthering Heights single cover

最後に、この有名な紙凧は、 1978年の夏にイタリアのヴェローナにあるローマ式円形劇場 アリーナ・ディ・ヴェローナで収録された フェスティバルバーのリップシンク出演のときの小道具で 再現されました。 ケイトが歌っている間、凧を守っているいかつい衣装の2人は なかなかすごいですね。

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

凧男のイラストがDelの手によるものと、初めて知りました。
貴重な記事に感謝です。
Kuroneko Bill

Leave It Open さんのコメント...

SOZOさん、いつも貴重な情報をありがとうございます。
40年、あっという間ですね。
久しぶりにファーストアルバムを聞いてみようと思います。

sozo さんのコメント...

Toyokazu Kanematsu さん、Leave It Open さん、
コメントありがとうございます。
やってて良かった、と思います。
この記事は、とりわけ見たことがないエピソードが多くて、読みごたえがありましたね。