2026年10月23日金曜日

ドナル・ラニー 1947-2026

ドナル・ラニー

アイルランド音楽にとって大きな損失です。名手ドナル・ラニーは、フォーク・ミュージシャンとしてもプロデューサーとしても、アイルランド音楽界で評価された伝説的存在でしたが、本日ダブリンで癌のために亡くなりました。79歳でした。まさに音楽における伝説というべき人でした。ギターやブズーキの他、キーボードやボドランも演奏しました。プランクシティの創設メンバーであり、ボシー・バンド、ムービング・ハーツ、クールフィン、モザイク、、LAPD、アッシャーズ・アイランドといったバンドで50年以上にわたりアイルランド伝統音楽の再生の最前線に立ってきました。2025年にはRTEラジオ1フォーク賞で生涯貢献賞を受賞しました。昨年私は、彼の人生とキャリアを扱った新しい素敵なドキュメンタリー映画「イン・タイム」を見ることができました。この作品は、それ以来各所でフェスティバルを巡回しています。ドナルさんは音楽の天才ですが、とても穏やかで控えめな方でした。

ケイトとは長年にわたって共演していて、ケイトの曲「夜舞うつばめ」、「羊の夢」、「ジグ・オブ・ライフ」、「こんにちは地球」、「センシュアル・ワールド」で演奏しています。1996年発表のアルバム「コモン・グラウンド:ボイス・オブ・モダン・アイリッシュ・ミュージック」をプロデュースしており、このアルバムにはケイトが素晴らしいトラック「アイルランドの女」で参加しています。

ケイトが1984年のアイルランドへの旅について書いた文では、ドナルへの賞賛を惜しんでいません。「…とても楽しくアイルランドを見ることができました。一緒に仕事をしたリアム・オフリンは、ミュージシャンとしても人としてもすばらしい人でしたし、ドナル・ラニーは、自由なアドリブとアイデアで私たち全員を畏敬の念で満たしてくれました」

2023年にアンカット誌のインタビューでドナルは、ダブリンのウィンドミル・レーン・スタジオでケイトとナインス・ウェイブの音楽を録音したことについて語っています。「ケイトはそうしたコンセプトを何も説明しませんでした。私には分かると思われたんでしょうか。このサイドの3曲で演奏しています。ケイトから「羊の夢」の最後にホイッスルを吹いてほしいと頼まれて、3時間かけてやっとお望みのベントノートを出すことができました。楽しくできました。。リハーサルやリサーチのために私たちの世話をしてくれました。ナインス・ウェイブで、伝統音楽と激しい電子音をミックスしているのが、ケイトの探求心を示していると思います。彼女は、画家が絵の具を使うように、音楽とミュージシャンを使っていました。伝統音楽の扱いに敬意と想像力を持って臨んでくれたと思います。自分の望むものを手に入れるためにアイルランドの音楽の世界に入り込んだのは素晴らしいことでした。存分に、とても立派な作品を作り上げて発表したのですから」

2019年5月22日にダブリンで開催された国際文学祭では、シオブハン・ケインのホストでドナルとデル・パーマー(このイベントのために渡航)が登壇してケイトの作品についてのパネルディスカッションが行われました。

ケイトとの作業について話すドナル・ラニーとデル・パーマー — ダブリン、2019年5月

2人がステージ上で、ケイトとのレコーディングのことを話したり、デルがアイルランドで過ごした日々を回想したりするのを聞くことができて良かったです。明らかに、お互いに敬意を持っている様子でした。デルはイベントの後の2人の素晴らしい自撮り写真を自身のFacebookページに投稿しています。

デル・パーマーとドナル・ラニー、2019年5月 – デルのFacebookページより
ドナルとアイルランドの音楽界のレジェンドであるポール・ブレイディ。2025年9月、彼の人生とキャリアについてのドキュメンタリー映画「In Time」の上映会にて。

ドナルの家族や愛する人たちに哀悼の意を表します。

P.S.私はドナルさんがいつの日かケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストに私と一緒に出てくれないかと願っていましたが、それは叶わぬことになってしまいました。2024年11月に録音したケイトとアイルランドのあれこれについてのスペシャルエピソードでは、私とアイルランドのミュージシャンであるSJマカードルが、ドナルさんについて、そして彼のケイトとの仕事についてたくさん語っています。そしてドナル自身が最近ケイトとの作品アイルランドの女について語っているのも聞くことができます。

2026年10月11日日曜日

写真家ティム・ウォーカーの新しい展覧会でケイトのポートレートがフィーチャー

ケイト・ブッシュとブラックバード(ティム・ウォーカー、2011年)
ケイト・ブッシュとブラックバード(ティム・ウォーカー、2011年)

著名なイギリスの写真家ティム・ウォーカーの新しい展覧会がロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで始まりました。ティム・ウォーカーの妖精の国:愛と伝統は、2026年10月9日から2027年2月7日までの開催で、「イギリスを代表するフォトグラファーのレンズを通して、クィアのアイデンティティ、コミュニティ、愛を探求する」ものです。ティム・ウォーカーはこのプロジェクトに5年を費やし、250枚の特別に制作されたクィアの人々やその仲間たちのポートレートからなる新しい写真作品集を作成しました。これは、写真家自身が自らのものだと称するコミュニティとの5年にわたる継続的な関わり合いを通じて作ったものです。

その作品の中には、黒いフレームに納められた未発表のケイトのポートレート(ブラックバードを肩に乗せたもの)も含まれています。ケイトがディレクターズカットのアルバムのためにティムと素晴らしい写真を撮影した2011年の撮影だと思われます。

ケイト・ブッシュとブラックバード(ティム・ウォーカー、2011年)

ケイトは2012年に出版されたティムの写真集「ティム・ウォーカー:ストーリーテラーの序文も書いています。Kateの序文から:「この写真集は、まるで絵画のコレクションみたいです。巨大なおもちゃの帆船にかかったカラスの巣にティムが腰をかけて、絵に描いた海を航海しながら、難破した夢を探しているのを想像します」

「ティム・ウォーカーの妖精の国:愛と伝説」はナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催
「ティム・ウォーカーの妖精の国:愛と伝説」はナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催

展覧会のウェブサイトから:「この展覧会では、ウォーカーの内面世界への旅をすることができるだろう。それは多くのインスピレーションと影響が織り込まれた鮮やかなタペストリーだ。華やかなポートレートと幻想的な風景が相まって、忘れられない祝福の風景を演出している。ウォーカーの創造性は自由で、その「妖精の国」は誰もに自分らしくいる自由が与えられる場所である」

ティム・ウォーカー展の肖像画
ティム・ウォーカー展の肖像画
ティム・ウォーカーによるディレクターズカットのフォトセッションからのアウトテイクでのケイト(2011)
ティム・ウォーカーによるディレクターズカットのフォトセッションからのアウトテイクでのケイト(2011)

2012年にW誌にケイトが扮した「マリオン」と「ガブリエル」の写真が独占的に掲載されたとき、ティム・ウォーカーは次のように書いています。「私にとって、ケイト・ブッシュは穏やかな平凡さの中に情熱的なヒロイン性を内包しており、まるで母親が戦いに参加しているように感じられます」。

展覧会の詳細については、ナショナル・ポートレート・ギャラリーのサイトのこちらをご覧ください。

2026年9月21日月曜日

誕生日メッセージに対するケイトからファンへの感謝の言葉

皆さんからの誕生日メッセージに対して、ケイトが感謝のメッセージを公式サイトに発表しました。ケイトからのメッセージは、いつでも嬉しいものです。

https://www.katebush.com/news_article/thank-you/

ありがとうございました。

私からのお礼のメッセージがこんなに遅くなってしまって、本当に申し訳ありません。もうずっと前に送ったつもりだったんです。

今年の夏は異常でしたが、みなさん楽しく過ごされたことと思います。まるでフランスにいるようでした。

誕生日メッセージで皆さんから素晴らしい優しい応援をいただいて、本当にありがとうございます。

私の音楽に何か感じてもらったという話を聞くと、とても幸運だと感じます。

幸運は人生の中で大きい役割を果たしていると私は思います。皆さんのおかげで、良い運をたくさんいただいています。ありがとうございます。

すばらしい初秋の日々を迎えられることを願っています。

感謝を込めて

ケイト

2026年9月20日日曜日

ポッドキャスト:センシュアル・ワールドとレッド・シューズのプロモーションビデオ

センシュアル・ワールドとレッド・シューズのプロモーションビデオ

ケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストの新しいエピソードでは、今回もショーンがダレルとポールに加わり、「センシュアル・ワールド」(1989年)と「レッド・シューズ」(1993年)の2枚のアルバムからのシングルの素晴らしいプロモーションビデオについて話し合います。「センシュアル・ワールド」のビデオに登場したモリー・ブルームのドレスをいま持っているのは誰か、「イート・ザ・ミュージック」のビデオ・セットで使われた果物はどうなったのか、そして、なぜ米国市場向けにラバーバンドガールの別のビデオがあったのか? このような話題などを、今回のとても楽しいエピソードでお楽しみください。

ケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストはiTunes、Audible、Spotify、その他のポッドキャストアプリ、たとえばPodcast AddictやTunein、あるいは下のSoundcloudからも聴けます。

2026年7月30日木曜日

ケイトさん、お誕生日おめでとうございます

本日はケイトの68歳の誕生日をお祝い申し上げます。素晴らしい日を過ごしていて、たくさん楽しいことがあることを願っています。あなたという人がいて、すばらしい音楽を聴かせてもらえることに、「ありがとう」と言わせてください。xxx

2026年7月13日月曜日

クラウドバスティング・ポッドキャスト:ペーター・ライヒ・オルゴノンスペシャル

注意:このエピソードの予告編映像をご覧ください。(以下でも視聴可能)

ケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストのとても特別な今回のエピソードでは、ダレル・バビッジがペーター・ライヒとともに、オルゴノンの地で過ごした記念すべき日についてショーンと会話しています。! ペーターさんはもちろん、ケイトのクラウドバスティングのインスピレーションとなった父親のヴィルヘルム・ライヒについて書かれたブック・オブ・ドリームスの著者です。訪問したのは、ケイトも現在公式ウェブサイトでリンクを共有しているヴィルヘルム・ライヒ博物館です。

オルゴノンでのクラウドバスターとダレル
オルゴノンでのクラウドバスターとダレル

この日の写真や動画をダレルがたくさん撮ってくれていたので、今回のポッドキャストエピソードについて食欲を刺激しようと、ショーンが予告編映像を作成しました。

オルゴノンは、米国メイン州に位置し、ヴィルヘルム・ライヒが研究所と観測所を設立してオルゴンエネルギーなどの研究や開発を行った場所です。ピーターの父ヴィルヘルムは、1985年の「クラウドバスティング」のミュージックビデオではドナルド・サザーランドが演じました。

ケイトのビデオから取った画像が表紙に使用されたペーター・ライヒの「ブック・オブ・ドリームス」
ケイトのビデオから取った画像が表紙に使用されたペーター・ライヒの「ブック・オブ・ドリームス」

ケイト・ブッシュ・ファン・ポッドキャストはiTunes、Audible、Spotify、その他のポッドキャストアプリ、たとえばPodcast AddictやTunein、あるいは下のSoundcloudからも聴けます。

オルゴノンカンファレンスセンターでペーター・ライヒと会話するダレル
オルゴノンカンファレンスセンターでペーター・ライヒと会話するダレル
ヴィルヘルム・ライヒ博物館の学芸員であるデビッド・シルバーが、ヴィルヘルム・ライヒのオフィスで「ブック・オブ・ドリームス」の一節を著者のペーター・ライヒを前に朗読する。
ヴィルヘルム・ライヒ博物館の学芸員であるデビッド・シルバーが、ヴィルヘルム・ライヒのオフィスで「ブック・オブ・ドリームス」の一節を著者のペーター・ライヒを前に朗読する。
オルゴノンからのメイン州の風景
オルゴノンからのメイン州の風景
オルゴノンカンファレンスセンターのエントランスで、ダレルとペーター・ライヒ
オルゴノンカンファレンスセンターのエントランスで、ダレルとペーター・ライヒ
1985年のクラウドバスティングのミュージックビデオで父親のポケットからブック・オブ・ドリームスを見つけるペーター(ケイト)。

一日の体験を共有してくれたダレル、素晴らしいペーター・ライヒさん、そして博物館でのデビッド・シルバーさんのご尽力に感謝します。エピソードタイトルは、ブライアン・クローリーさんが素敵なデザインを作ってくれました。

ヴィルヘルム・ライヒ博物館の詳細については、こちらのウェブサイトをご覧ください。

「クラウドバスティング」のミュージックビデオ(1985年)
「愛のかたち」バスカビル盤の開封ビデオ(2023)
ヴィルヘルム・ライヒと息子ペーター・ライヒ(1947)
ヴィルヘルム・ライヒと息子ペーター・ライヒ(1947)

[ここでお知らせです。www.katebushnews.comでの活動を気に入っていただいていたら、ランニングコストをサポートするために、ほんの少しでも良いのでHTTPS://KO-FI.COM/KATEBUSHNEWSで寄付をお願いします]

2026年6月18日木曜日

追悼ヒラリー・ウォーカー

1979年にBBCの番組「ネイションワイド」でケイトのツアーについて語るヒラリー・ウォーカー

今日はとても悲しいニュースがありました。公式サイトでのケイトによる投稿で、ヒラリー・ウォーカーさんが亡くなったことがわかりました。ヒラリーはケイトのかつての個人アシスタント兼代理人で、20年間にわたり事実上のマネージャーとして働いていました。音楽業界で高く評価されており、ケイトのキャリアの初期から同行している姿を常に目撃されており、この時期のケイトへの貢献は計り知れないものでした。

EMIのプロモーションと国際部門の責任者でしたが、ケイトのためにフルタイムで働くために、1978年に会社を辞めています。1978年の訪日時には、BBCのリポートでケイトと一緒にいるのを確認できますし、BBCの「ネイションワイド」スペシャルでは1979年のケイトのツアーの初日について話しています。また、2001年にロンドンで開催されたQアワーズではレッドカーペットをケイトと一緒に歩いていました。そしてもちろん、ケイトの多くのアルバムのライナーノートでは大切な「Hil」としてケイトの感謝を受けていました。

ヒラリー・ウォーカー、ケイトとジャーナリストのボブ・フレンド、東京1978年
ライオンハートのアルバム発売パーティーにヒラリー・ウォーカーとともに到着するケイト – 1978年11月10日、オランダの14世紀の城、アンマースオーエン城で
1979年1月のケイトの1979年ツアーの制作スケジュールの一部。ヒラリー・ウォーカーなど、おなじみの名前が見えます。(出典:リチャード・エイムズのサイト https://roadstories.co.uk/content/1979/1979-kate-bush/ )
ヒラリー・ウォーカー(中央)とケイト、兄のジョンとクルーがグリニッジで行ったツアーミーティング、1979年初頭。
ヒラリーはケイトのアルバムの多くで謝辞を受けていますが、この1985年のアルバム「愛のかたち」での例のように、いつも単に「Hil」と書かれています。
2001年のQアワードでのケイトとヒラリー・ウォーカー

ケイトは、公式サイトに今日、友人であり仕事仲間でもある彼女の写真を投稿し、追悼のメッセージを記しています。

ヒラリー・ウォーカー(写真:Katebush.com)

ヒラリーさんは素敵な人で、元気いっぱいで愛されていました。

私たちはたくさんの冒険をして一緒に世界を巡りました。
旅行が大好きな人だったので、一緒に旅をするのは楽しかったです。
最初のアルバムをリリースしてすぐに一緒に仕事をするようになりました。
ヒラリーさんは20年近くにわたって、公私ともに本当に私にとって大切な存在でした。
私の信頼できる右腕であり、私の親友でもありました。

ヒラリーさんは愛を誓いあった夫のピーターさんと共に再び世界の旅にでました。
ピーターさんに会った瞬間から信じられないほど幸せで、迷うことは全くありませんでした。

ヒラリーさんを失って、とても寂しくなります。
親愛なるヒル、いつも一緒にいてくれてありがとうございました。
ケイト