2022年9月13日火曜日

ドリーミングの発売は40年前の今日

私たちのFacebookページで、ドリーミングの40周年のお祝いをしていますが、1982年発売のこのアルバムのシングル曲のビデオも添えています。1982年9月13日にリリースされました。ホームグラウランド誌の40周年記念特別号にも書いています(こちらで無料で入手できます)。今月また、2部構成のブッシュ・テレグラフのポッドキャストでもドリーミングのアルバムをフィーチャーしていて、特別ゲストのインタビューも入っています。私が書いた内容から引用します:

「今年初め、イギリスのメジャーな音楽雑誌の編集者から、ケイト・ブッシュの表紙特集記事について知恵を貸してほしいという連絡を受けました。普段と異なり、彼らはドリーミングのアルバムについての表紙特集をすることを考えていました。2022年がアルバムリリースの40周年にあたるからです(なかなか信じられませんが)。過去10年間に見たように、音楽月刊誌の表紙にケイトが載ると雑誌の販売がそこそこ動くのですが、通常そうした特集記事はケイトの非常に初期のキャリア、1979年のライブツアー、永遠の人気アルバムである「愛のかたち」についてでした。

その表紙のアイデアについて私は夢中になり、ケイトの驚異的で画期的な4枚目のスタジオアルバムが、好まれている愛のかたちと同様にあらゆる側面でまだ音楽出版界に注目されるのに値するかを、編集者に理由のリスト付きで説明しましたまさにこのダークで複雑な驚くべきレコードを再発見すべきときです。それはケイトが完全に自分自身でプロデュースした最初のアルバムであり、当然これを読んでいる方にも、愛のかたちとエアリアルを含む傑作三部作の中でも最高傑作だとみなす人も多いでしょう。その内部の大胆で複雑な実験は、もっと完成されたものには向かっていませんが、愛のかたちそのものよりも驚かされる内容です。その複雑さと発明性は狂気じみています。一般的にドリーミングは、彼女が「本当の」傑作である愛のかたちを作るために通らなければならなかったアルバムだと見られていますが、多くのファンはそれ自体で立派に存在するアルバムだと見ています。クワイエタスの言葉を借りると、「ポップスターとしての拘束衣を脱ぎ捨ててアート・ロックの貴族の世界に入り込んだ」ことを意味していました。魔物語がそのような本質的な切り替わりの作品であったのでしょうか?ドリーミングこそ、彼女のキャリアの中で、大地が動くような転換をもたらした驚くべき地点にたどり着いた作品です。

1982年にアドビジョン・スタジオでドリーミングの録音をするポール・ハーディマン、ケイト、デル・パーマー(デルのFacebookページより)

このレコードの制作と評価には、非常に魅力的なドラマや強烈な印象があります。ケイトが曲を書いたときは22歳で、リリースしたときに24歳くらいでしたが、それでも自分でプロデュースするやる気があって、それに取りつかれていたようです。リリースから何年も経った後でも、このレコードの制作については、それに参加した人々から今まで知られていなかった内部事情を知ることができます。グリーム・トムソンは、アンダー・ジ・アイビーというバイオグラフィー本で、ヒュー・パジャム、ニック・ローニー、ポール・ハーディマンなどののスタジオ関係者から新しい情報を明らかにしています。タウンハウス、アビーロード、ゴスフィールドストリートのアドビジョン(「ゴスフィールド・ゴーアーズ」のクレジットはここから)など、ロンドンの高価なスタジオでのセッションで集中して実験しているときに、壁にのハエのように盗み聞くことを想像してみてください。ケイトは新しいテクノロジーとサウンドの可能性を思いのままに試しており、ピーター・ガブリエルのスタジオワークの影響を受けたであろうフェアライトやゲートリバーブドラムパターンがありました。それにより全く新しい、リスナーによっては戸惑ってしまうような音のレイヤーでサウンドスケープを作り、前作の魔物語で試した試みをさらに推し進めたのです。「いろいろな楽器を使っていましたが、すべてが変わっていました。このアルバムを本当の出発点にして、まったく違うものにすることが、一番良いことだと考えました。これを実現する唯一の方法は、以前のものとのリンクをすべて断ち切ることでした」

オリジナルのアルバム予告ポスターは、’82年夏にルイシャムの広告掲示板から回収され、その後クリスが修復して撮影したものです。

「ゲームチェンジャー」「耳障り」「映画的」「鼓動を感じる」「取り憑かれたよう」「耳をつんざく」「音の嵐」ドリーミングのアルバムを表現しようとして使われた言葉のリストを漁っていると、明らかになることがあります。それは40年を経ても、このアルバムが無関心ではいられない存在であるということです。

...今年2月に発表になったアンカット誌の表紙特集では、再構成されたアーカイブ記事ではなく、全く新しく、ケイトのダークな傑作の制作に関わった人々たちのすばらしいラインナップへのライターのピーター・ワッツのインタビューもあります。プレストン・ヘイマン、ポール・ハーディマン、リチャード・バージェス、ブライアン・バス、ロイ・ハーパー、ヒュー・パジャム、デイブ・ローソン、ハワード・グレイ、ダニー・”ダンダン-Sushi-マン”・ドーソン、テリ・リードなどが含まれています。

2014年、BBCのドキュメンタリー番組「デル」で、このレコードのカバーの謎の男に隠された真実を明らかにしました。ケイトが鍵を渡している「ハリー・フーディニ」は、デル自身だったのです。(舌にキーをのせた)ケイトとデル(素敵なニットジャンパーを着ている)の同じポーズのすばらしいリハーサルショットが、ジョン・カーダー・ブッシュによるケイトの写真集、ケイト:インサイド・ザ・レインボウの中にあります。ジョンは最終的なショットを次のように説明していました。「少し曇った日で、場所は私たちの両親の家の裏にあるキッチンガーデンの外でした。ケイトが非常に美しく見えるのはともかく、彼女の後ろのツタは美しいテクスチャーで隠れた空間や影が光沢のある葉に囲まれてありました。ツタは美しいですが、それが絡まっている木をゆっくりと締め付けていきます。それは有毒ではなく、古代の詩人の王冠はツタで編まれていました」

出典 - 『ケイト:インサイド・ザ・レインボウ』ジョン・カーダー・ブッシュ(リトルブラウン、2015年)

…ケイトがドリーミングのアルバムについて今どのように感じているのか、この視点から考えると興味深いです。この間、「愛のかたち」について尋ねられることの方がずっと多く、ドリームングに続くこの作について彼女が非常に満足していることは明らかです。2014年のライブステージでは、ドリーミングに収録の歌は演奏されませんでしたが、ショーの構成がどうやって決まったかが分かると、なぜ省いたかが分かります。ギタリストのデビッド・ローズによると、ケイトは最初、本当にビフォー・ザ・ドーンでサット・イン・ユア・ラップをやりたいといっていたが、これは残念ながらトップ・オブ・ザ・シティに代わり、この1981年のシングルはリハーサルステージに登場しませんでした。90年代にケイト本人はこのレコードwを振り返ってこう言っています。「気が狂ったようです。3年ほど前に聴いたのですが、信じられませんでした。怒りがいっぱいという感じです。私は芸術家、という意識にあふれています」そのことを念頭に置くと、ケイトがジェームズ・ガスリーと組んで取り組んだ2018年のリマスタープロジェクトでのドリーミングの新バージョンを聞いて、比較的最近のケイトがどう思っているかはぜひ知りたいところです。いずれにせよ、私たちの耳にとっては特別なごちそうだというのは間違いありません。この40周年記念の年には、特に「大音量で再生する」ことを忘れないでください。

編集されていない記事全文は、無料のホームグラウンド40周年特別号で読めます

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